このブログを検索

2013年12月3日火曜日

ブランドの憂鬱

ブランドの憂鬱

 今、日経新聞の朝刊にコトラーがコラムを飾っている。コトラーは私達のよく知るマーケティングの先駆者である。そのコトラーを持ち出すまでもなくブランドというのは厄介なものである。認知されるにも時間が掛かるし、一度認知されるとこれまた勝手な変更が出来ない代物なのだ。
某牛丼チェーンの社長が今までで一番高いメニューを作ったとニュースで自慢そうに話していた。つい最近、大手ハンバーガーチェーンが同じような高価格戦略で大きく売上を落としたと発表したばかりなのに、こうした人には多くのブレーンがついているだろうに何故同じようなことをするのか不思議である。
私のスタッフと関係ある某ラーメン店がフードコートに出店した。出す前から苦戦を予想していたが、案の定のようである。そもそもフードコートにやって来る客はどうしてもそのラーメンを食べたいから来ているという欲求の強い客ではない。お腹も空いたので「何か、これくらいの金額で」と探しているのだ。隣のさぬきうどんの店が500円、その隣の洋食店が600円なら、750円のラーメンは相手にならない。たまに気にしない客もいるだろうがあくまで少数派である。
大手はすぐ苦戦する数字を見て内部構造の問題に置き換えそれを打開するために高価格戦略を打ち出す。しかし土台無理な話しだ。こうしたチェーン店は己の出所をもう一度考えてみた方がいい。一般の飲食店には出来ないような大量仕入れ、大量調理によって原価を下げて安く売っても儲けの出る仕組みを作り、他との差別化を図ったのだから。
都内にもお茶漬けで有名な食品メーカーのファミレスがあった。何度もメニュー変更しても上手く行かなかった。これも同様、私達の頭のなかにブランドイメージが出来上がっているからだ。いくらメニューに本物の松茸を使ったお吸い物と謳っても誰もあの袋に入ったお吸い物しかイメージ出来ない。

今やなくなってしまったが鎌倉の駅前の古い商店街に老舗の鰻屋さんが店を出していた。
私はその鰻を土産に買うことが多かった。あるときその鰻屋でない由比ヶ浜通りの老舗の鰻屋で鰻を買った。もちろんこちらのほうが千円も高い。ところがどうだろうその鰻を食べた息子は駅前の鰻で十分というのだ。ならば今度はとその由比ヶ浜通りの老舗の鰻屋に息子を連れていき食べさせた。すると息子は、これはこの鰻の価値がある。これは家で食べる鰻とは全く別物と物申すのだ。なるほど家で食べる鰻は駅前のそれで十分であり、店で食べるなら由比ヶ浜通りの老舗の鰻屋を選ぶということか。
これはまさにブランド化である。消費者の側が経験により選別しているのだ。ブランドとは一様な条件で評価されるのではない。場所、時間、季節、体調その他もろもろの諸物を考慮して初めてブランド化されるわけである。
マーケティング本の中に究極のロイヤルティはそのブランド(商品)を家族に勧められるかどうかだという事が掲載されていた。なるほど自らを顧みると・・・そういうことにしておこうと密かに思うのだ・・






2013年12月2日月曜日

クラス会


大学のクラス会というのは色々な人に聞いてみるが中々珍しいらしい。確かに新入生の頃最初クラスに振り分けられるが共通する授業は幾つかにとどまり、あとは各人が好きな授業をとっていく。さらに上級に進めばゼミや各人専門が分かれ一緒に集うことは少なくなるからだ。

ところが昨年辺りから有志が立ち上がりこのクラス会が開催されるようになった。
ある作家が面白いことを言っていたのを思い出した。高校卒業が最終学歴のその作家が言うには友達と呼べる友達は高校まで一人も居なかったというのである。今いる友だちはそれ以降つまり社会に出てからなのだと。確かに一理あると思った。私も考えてみると中学までの友達で今でも付き合っている人はいない。高校で数人、大学ではその倍以上になる。そして社会人になってからの友人のほうが圧倒的に多い。その理由は簡単である。義務教育という好き嫌い関係なく押し込まれた箱の中で私達は友達ごっこをしていた。しかしあくまでそれは「ごっこ」であり、実際の友達ではない。私達はそこまで成長していないからだ。そしてその枠がなくなればその友達との音信は無くなる。
高校や大学の場合、決められた箱は同じだが、社会的階層が近しい人が多い。つまりその後の社会に出ても同じようなステージで出会う機会も多くなる。だからその一部の人と繋がっていられるのだろうと推測する。

ところが社会に出てからの友達というのは決められた箱のなかで選ぶわけではない。子供の学校だったり、共通の趣味だったり、自らがその箱自身を選ぶことが出来る。そこには共通の話題が存在する。ここが肝要である。この共通の話題が無いまたは少ない場合、友達との関係は疎遠になっていくからだ。私も一度だけ中学の同窓会に参加したことがある。苦労をして幹事をされた方には申し訳ないのだが出席していること自体苦痛だった。共通の話題が全く無いのである。

話を大学のクラス会に戻そう。今回で3回目であるがどうしてなかなか楽しい。もちろん会社の肩書やその規模で人を判断する年齢ではなくなったということもあるのだろうが、話題を見つけやすい。その理由は合う前にお互いの概況を確認できるということが大きいのではと思う。そうフェイスブックやブログを読めば今どんな仕事をしているとか、どんな趣味なのかといったことは悠々に理解できるからだ。このことは前と比べて大きな変化だと思う。中には会社の重職のためこうしたソーシャルネットワークに情報の発信をすることの出来ない人もいる。そうした人でも相手の情報は読み取れるわけだ。私は4年前にこのリスクとメリットをよく考えた上で友人からやってみればと勧められた。お陰で今では色々な友達との会話がしやすくなった。
時々、妻より早く私が昼食に食べたものを知っている輩もいるがそれはご愛嬌。だから悪い事や嘘はこのSNSでは出来ない。情報というのはものすごい速さで正誤性の合わないものに収斂していくという法則があるからだ。それ以外ならとても使いやすくハッピーな道具なのだが。










2013年11月29日金曜日

911礼賛

911礼賛

911を手に入れて3年がたつ。普通なら他の車に触手が動く頃であるがまだまだ飽きが来ないどころか、新しい発見が続いている。
はっきり言っておく911は見栄を張る車ではない。最近はやっと電動になったようだが、私の911のドアミラーの格納は手動である。ダッシュボードの計器類やシートも何だか安っぽい。最近では手の当たるスイッチの表面の塗装が剥げ落ちてきた。内装や仕上げは品質的に見ても国産車より劣る気がする。恐らく車のことを知らない人が見たら、カエルに似た安っぽい車だと思うだろう。このあたりはスリーポインテッドのメルセデスのAMGや跳ね馬のフェラーリには到底及ばない。
では何が魅力なのか。それは運転してみなければ分からないだろう。現在の911は誰でも運転できる車になったとはいえ、車高の低さや3035の扁平率のタイヤを履くために最低でもこうした種類の車の理解が必要だ。それを逡巡して余りあるならば女性でも男性でも楽しめる。
さて車に必要なことは何か。突き詰めれば走って、曲がって、止まる。これだけだ。つまりこの3つのことに特別な思いを入れて作った車が911なのだ。ご存知のようにフラット6を搭載するのは911くらいだ。より大きな馬力を必要とするならばV型エンジンに過給器をつければ良い。ただし、エンジンが大きくなるので大きな格納庫が必要となり、それを収めるボンネットは巨大になるか、フェラーリのように後室を潰してエンジンルームにしなければならない。こうした巨大化したスポーツカーは日本の実情には合わないのではないかと感じる。駐車場には入らないし細い道には侵入できない。専属のポーターでも雇わねばならないかもしれない。そこへいくと911は丁度いい。後輪のオーバーハングに慣れるには時間が必要だが、以外と短いホイールベースが幸いして、ほとんどの段差を解消する。
911のブレーキはよく効く。この車に乗って分かったのだが、いくら電子制御を行ってもフロントに重い物を載せている車が停車するには相当な慣性モーメントが働く。つまり動き続けようと車を前に引っ張る力だ。そこへ行くと911のエンジンはリアにある。しかもコンパクトなエンジンである。ブレーキを踏めばダイブすることなしに車は止まるのだ。このあたりはフェラーリも同様だと思う。
もうひとつの利点はハンドリングの素直さである。あれだけ太いタイヤを履いているのに車体の剛性が良いため、重さを感じない。純正のピレリPゼロロッソからBSに履き替えたらさらにグリップが良くなった。そしてハンドルをある一定角以上で切っているとロックアップしない。これはコーナーで限界近くを走っている時、ロックアップするとトラクションを失いスピンしてしまう事を防いでくれる。さらにアクセルが途中開度を容認してくれる。つまりギアをホールドしてくれるのだ。これもありがたい。
ようするに走っていて、運転が楽しいクルマなのだ。
私はM5にも乗ったことがある。あれはV10エンジンだった。ランボルギーニ・ムルシエラゴにも乗った。あれはV12だった。総じてV10以上のエンジンは高回転型で街乗りの低回転のトルクが不足している。そこへいくと911は例え時速40kmで走っていても実に気持ちいいのだ。
しばらくは911の魅力に贖えないと感じている。果たしてこの車を忘れさせてくれるような車が存在するのだろうか。やはり911の次は911か。




2013年11月26日火曜日

王様の食事

王様の食事

作家の好き好きというのは人によって分かれるものであろう。同じ紀行文でも沢木耕太郎と開高健ではまるで違う。沢木氏が精密機械の設計図のように事実を丹念に掘り下げ物語を紡いでいるのに対して、開高氏のそれは自らの興味のある部分とそうでない部分がはっきりしていて、そのストライクゾーンに当たると文章は堰を切ったように溢れ出してくる。開高氏が美食家であったことは既知であるが、サントリーの共通項で括れば山口瞳氏も同類である。この二人何が共通しているのか著述を思い返しながらつらつら考えてみると、二人共恐妻家だったらしい。なるほど開高氏がアマゾンやアフリカの地の果てまで何かを追い求めて探検した気持ちが分かったような気がする。もっとも山口氏はそんな秘境には行かず専ら祇園や銀座のジャングルに繰り出していたようであるが。

開高氏は食のエッセイの中で菊池寛を引き合いに出し、王様の食事という章で「食べるとあとからあとも形もなく消化されてしまっていくらでも食べられるものがご馳走なのではないかしらん」と言っている。そうです食べると***になる食べ物が良い食べ物だと言っているのです。食事中の方も居られるかもしれないので***と称したが、氏は文章の中でしばしこの***を多用している。ベトナム戦争に従軍し、米兵がベトナムの少年少女を虐殺する惨事を見てきた氏だけに、氏の***には人間の生きることの本質を彗眼しているような気がする。
そんな氏にここの料理は***が出る食べ物だと最大の賛辞を頂戴した宿がある。それが越前にあるこばぜ旅館である。氏はここに逗留した際に何が所望か尋ねられた宿の主人に「カニ」とだけ答えたようである。夕餉は当然のことながら旬の越前ガニの刺し身、焼きガニ、しゃぶしゃぶが供された。翌日、何を出そうか困り果てた主人が思いついたのが、当時は安かった越前ガニのメスの身や腹子など全てをご飯の上に山盛りにしたどんぶりだそうである。それを氏は一気にかっこみ完食し「うまい」と言って箸をおいたそうである。それ以来その宿に来ると必ずそのどんぶりを注文し、今ではそれを開高丼と言われ名物となったようである。

ジビエなどでもそうであるがメスよりオスの方が味が濃いのが一般的である。しかし、メスにはオスにない身の柔らかさや蟹に至っては卵がある。その辺りが氏の琴線を触れたのかもしれない。私はこの旅館にいつかは行きたいと思っている。しかし、漁期は二ヶ月に限られ、横浜からどんな交通手段を使っても相当の時間が掛かる。私にとって夢を見ていれば着いてしまうロサンゼルスやパリより遥か遠い地なのである。そんなこんなでまだ行けずじまいなのである。
ところが活きたセコガニを送ってくれるところがあると情報を得た。ネットワークの時代万歳である。もっともそんな時代だから多くの海産物、農産物を売っている。しかし時としてとんでもない一品を送られてくることもある。過去一度、日本海の牡蠣を頼んだことがある。いくつかのお店をまとめて注文と配送をそのショッピングサイトが請け負う仕組みのやつである。送られてきた牡蠣は身が殻から溢れるほど長時間揺られ、蓋を開けてみたら身が流れだしてしまった。もちろん生食では食べられるはずがない。それ以来、直接の送り手が見えないところから買うのは止めている。
今回購入したのは鳥取漁港に船を持っているレッキとした猟師さんである。船の名前は弁慶丸。蟹だけに縁起のいい名前だ。それとこの猟師さん脱サラで漁師になったと書かれていた。かねてより色々な職種の人が交雑することは良いことだと思っている。閉鎖的になりがちな世界に新しい刺激を与えるからだ。事実、この猟師さんはメールが苦にならないらしい。時化で漁に出られないとか、港に寄港していない船があるとかメールで送ってくれるので、待っている身としては大変ありがたい。そんなことも脱サラ猟師さんならではあるまいか。

閑話休題。送られてきた発泡スチロールの上に宅急便の配達者に分かるように生き物なので丁寧に扱って欲しい旨の文章が添えられている。なるほど前回の牡蠣ももしかするとそうした事故だったのかもしれないと思い返しつつ、蓋をあけるとおおぶりなセコガニがザワザワ、ガシガシ・・・元気に剽軽な目玉を上に下にしながら様子をうかがっている。
神様仏様、殺生をお許し下さい、ナンマイダブと唱和したあと、甲羅をやさしく洗い、脚を縛り甲羅を下にして蒸すこと18分、蓋を開ければほのかな磯の香りと果物のような爽やかな香りが立ち上がる。妻と二人で10匹の蟹から身や内子、かにみそを取り分け終えた頃、ピィーと新米が炊きあがったよとの合図。熱々のご飯を器に盛り、これでもかと蟹を盛り付ける。蟹の汁と醤油を合わせたものをどんぶりに少し掛けて何も言わずかっこむ。ひとくち、ふたくち、家人達は何も言わず、ただ、うんうんと相槌をうっている。六年間の大学生活最後の試験真っ最中の息子もこの晩餐の事を知って早く帰ってきている。息子の顔にも笑みが溢れる。旨い。何も表現できない。ただ、旨いのだ。中々も鳥肌の立つ旨いものにはあたらないが、今日は別。それくらい旨い。こばせ旅館では洗面器のような器にセコガニ7匹使うと言っていたが、10匹を三人で食べてもまだ余るほど、身がいっぱい詰まっていた。 ダイエット中の息子ではあったが二杯目に突入したことは言わずもがなである。

翌日も余った蟹に日本酒とみりんを加え玉子焼きにした。お弁当にして三つ葉を散らし、私の朝ごはん。これまた旨い。卵のプチプチした食感とねっとりした蟹の身が卵と相まって至福を味あわせてくれる。まさに王様の食事である。











2013年11月25日月曜日

家守の話 建物の糊代

家守の話 建物の糊代

私も若い頃、会社の売上や従業員数など規模に拘っていた時期があった。友人が自分の会社をいち早く上場し、紙面を賑わせていたからだ。
丁度その頃、今ではコメンテーターとして引っ張りだこのプロデューサーであるある人からテレビに出ないかと誘われた、ある番組に毎週である。出演料はかなり良かった。しかし、この時あるときにある人に言われた。あなたは会社を大きくして何をしたいのですか。会社を大きくすることが目標なのですか、それとも何か違う目標があるのですかと。
目から鱗だった。サラリーマンの時の気分が抜けていない目標も見えていない。自分が何をしたいのか何が出来るのかもう一度考えなおさなければならなかった。

出した結論が「偉大なる商店」それが私の目標だった。近江商人の言葉に「一に相手によし、二に自分によし、三に社会によし」である。どんな仕事でも相手を困らせず、周りに迷惑をかけず、自分も含め三方両得をよしとする。それ以来、会社を大きくしようとか、従業員を増やそうとか思わなくなった。サービス業の基本は如何に相手に喜んでもらえるかである。相手に十分な利益をもたらさなければ評価は得られない。ただ急ぐあまり短期的であったり、周りに迷惑をかけたのではいけない。慎重に勘案しその事を進める必要がある。税務を専門にやっている人はその段の相続のみを考える傾向がある。ところが私達の仕事はその先の先まで俯瞰しておかなければならない。

江戸時代の横丁の親爺は昼間から油を売ってはいるが、どうしてそのあたりは気配り、目配りをしているのである。大工の八っつあんに仕事がなければ、壊れた屋根の普請の仕事を作り、赤子に熱が出て仕事に入れないヨネさんのところの家賃をひと月待ってあげ、挙句の果てに夜逃げの手助けだってする。ようするにそうした一切合財をしながら総じて家主に利益をもたらす訳である。

もうひとつ現代の家守はコダワリ屋でなければいけない。何もこだわらずどこ吹く風といなせに振る舞うのもカッコいいのは承知であるが、やはり拘りを持っていなければならないと思うのだ。どんなものがかっこよくて、どんなものがかっこ悪いのか、自分の流の審美眼である。建物のデザインというものは流行がある。これは仕方がない。だがこれとて糊代をもたせることは出来るのだ。住宅ならば施主が自分の好きな様に建てればよいし一向に構わない。ただし事業用は別だ。施主が連れてきた設計士による事業用の建物を多く見てきたがこの事が顕著に現れる。そういち早い陳腐化である。それとてもっと古くなればそれはそれで骨董とかビンテージと呼ばれ価値も残るが、少し前に流行ったというのが一番いけない。これはもうガラクタ、カッコ悪いとしか言われない。では何が糊代なのか。それはぎりぎりの予算で作ることだ。贅沢を切り落として出来るだけシンプルに作る。これに尽きる。建物の糊代、家守の話でした。(写真はイメージです)






2013年11月21日木曜日

ワインの話

ワインの話

 恵比寿の路地裏で店を15年やってきた。当時の私は日本酒やビールの味はそこそこわかっているつもりだったが、ワインとなるとからきし駄目だった。それでもバブル景気のせいかお客からワインを聞かれることも多くなっていた。もちろんそれ以前にもワインは飲んでいたがいつも頭の痛くなるような酷いシロモノばかりだったのでワインに対する印象は悪かった。
 そこで意を決して日本橋の高島屋に行きワインを買った。当時8千円近くしたと思う。買ったワインはシャンベルタン。ブルゴーニュの赤ワインである。何故このワインを買ったか。それは名前がかっこよかったからである。他のものは舌を噛みそうで頂けなかったからだ。当時はデキャンタージュもマリアージュもあったものではない。帰るやいなやコルクを開け、小さな安物のワイングラスに注いで飲んでみた。色も薄く、香りも感じられない。ちょっと酸っぱいような変な味だった。どこが良いワインなんだと勧めた店の人を恨んだ。そのような経験が災いしてか店で置いたのはオーストラリアのワイン、値段も手頃のワインが多かったが、本当に美味しいとはあまり感じられなかった。

 それからしばらくして二人のワイン通からカリフォルニアワインを教わった。リーズナブルなのにハズレがない。特にシャルドネの白ワインはさっぱりしたものから、重厚でこくのあるものまでバリエーションもあって飽きが来ない。それにひどい二日酔いもなくなった。今も冷蔵庫とセラーにはこのカリフォルニアワインがいつでも抜栓できるようにスタンバイしている。

 ある三ツ星レストランに行ったときに、それぞれの料理にワインを合わせてくれた。ランチだったので料理は9千円以下だったと思うが、ワインがその料理と同額だった。前菜で供された貝の料理に合わせられたのが20年もののムルソーだった。貝を口に運んだ後にムルソーを飲むと石灰質の土壌から吸い上げられたミネラル分が口に残り何とも言えない美味しさが広がった。そしてメインの魚料理にはカリフォルニアのシャルドネが合わせられた。ジャッジだった。先ほどのムルソーとは違う酸味もあり力強さと濃厚な味が肝を使ったソースと絶妙の火入れされたマカジキと上に載せられたホウズキの酸味と絶妙にマッチしていた。なるほどワインとは料理によってここまで味が変わるのかと三つ星レストランの凄さに驚嘆したものだ。それ以来、このワインはどんな料理とあうのかといつも考えるようになった。

 ワインは講釈より飲んでみなければ分からない。講釈は要らないという人がいる。確かにそうだと思う。でもワインを知ることはちょうど何故勉強しなければならないのかという問に似ている。そう勉強というのはいつ使うか分からないような無駄な知識を頭に入れる作業だからだ。無用なことはしないという合理主義者ならば別だがこの歳にして思うのは人生とはその無用なことが肝要なことのような気がする。ワインのラベルを見てそのワインが生産されたぶどう畑をイメージして、収穫された時の気候や温度、景色の色まで想像してみる。確かにカリフォルニアはとてもわかり易い。決して劣るとかという話ではない。ただそれに対してブルゴーニュは難しい。ブルゴーニュで美味しいワインと出会うのは10本に1本、いやいや100本に1本かもしれない。それほど飲み頃や相手(食べ物)を選ぶ。でもそれが魅力であるのも事実。難しいからこそ最高の一杯に出会った時の感激は言葉では言い表せない。天然の採ってきたばかりの舞茸を天ぷらにして合わせたボーヌロマネの美味しさは4年たっても口の中に残っている。








2013年11月13日水曜日

舌の記憶


私の好きなビストロでのディナーは大変満足のいくものであったがワインについては己の経験と知識のなさにやや自己嫌悪に陥った。ソムリエ殿には大変申し訳無いがワインというのは好き嫌いがある。その好みまで観慮してワインを選ぶということはなかなか難しいのであるからソムリエ殿に文句をつけることではない。私が拘っていたところは鴨というジビエひとつとっても季節、その調理法によって選ばれるワインが異なってくるということだ。実は美味しい料理を楽しんでもらいたいとの一念から前々日に鴨を料理し相性を確かめてみたのだ。野生の鴨は入手困難だったので京鴨を用いた。骨もないので軽くローストしてキャトルエピスで味付けした。

フランス料理のワインとの相性ではそのソースに近いワインを選ぶという基本がある。ところが当日作ったものはローストで鴨の味が直接舌に来る。この場合には開栓したばかりの南ローヌのグルナッシュではバランスが取れなかったのだ。翌日、一日置いたそれはかなり相性が良くなっていたがまあまあという出来栄えだった。
そこで私はやはりサルミソースのコクを考え、ブルゴーニュのシャッサーニュモンラッシ・プリミアクリュを選ぼうと決めていた。このワインは高年齢の樹木を用いるため輪郭がはっきりしていて落ち着いている。ところがどうだろうそのワインは品切れとのことである。その代わりに選んだのがシャンポールミジュニー2011である。ミジュニーらしい薄明るい液体は果実もあり滑らかであるがいかんせん若すぎる。恐らく樹齢は20年も経っていないのではないか。ミジェニー村はぶどうの病気によって多くの樹木を失っていたからだ。それとあまりにも早く供されたため魚のサーブの時にこのワインが注がれる始末だった。これはいけない、ワインは全く料理とかけ別の味わいとなって胃袋に消えてしまった。

メインの青首鴨のサルミソースが運ばれてきた時にはワインのグラスは空なっていた。しかたなく、ジゴンダスを頼んだ。グルナッシュらしい軽さと渋さが口元に残りローヌらしい力強さを感じたが如何せんフルーティ過ぎる。鹿肉には良いだろうが、この店のサルミソースは軽く仕上がっているので相性は今ひとつだった。やはり強すぎるフルーツ香が邪魔をする。

何故そうなのかと少ない経験と虚ろな頭のなかから昔のページを紐解いてみる。今から5年前にカンテサンスで鴨を食していた。その時のメニューはシャラン産鴨のロースト島らっきょソース、鷹が峰とうがらし添えというものだった。季節は8月。そうさっぱりとした家禽に近い鴨を軽めのソースで仕上げたものだった。これにソムリエが合わせたのが先ほどのシャンポール・ミジェニーだった。そうか私の試験は間違っていなかったのだ、だからローストのようなさっぱり軽めにミジェニーを合わせていたのだ。ということは少なからず肉の個性の強い青首鴨のサルミソースにはよりはっきりとしたワインのほうがあうということだ。グルナッシュを一晩寝かせたような滑らかさ、数年前、天然の舞茸に合わせて供されたワイン・・・・そうやはりピノ・ノワールしかない。あの時のボーヌロマネのように・・今閃いた・・・