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2013年12月10日火曜日

街づくりの要点

若い頃、某大学の建築の研究室に通っていたことがあった。家守の仕事に建築は欠かせない、ところが大学では建築について残念ながら何一つ学ぶ機会が無かったからだ。
その教授はある地方の特色を活かして、その街の名前を人口に膾炙することに成功した。街の名前は喜多方である。近年では喜多方ラーメンとしても知られているが、その街には多くの土蔵が残っていた。それを活かして観光資源としたのである。

仕事柄多くの再開発を見てきた。推進役としての場合もあるし、反対に居住者としての場合もあった。開発には多くの資金がいる。結果、大企業による開発がその大半を占める。私はこうした開発が駄目だと言うつもりはない。こうした巨大な開発によって、これまた巨大な箱が出来上がる。この箱はいわばびっくり箱である。日常を忘れて、テーマパークとして人々は楽しむ。巨大な仕掛け装置そのものなのだ。

ところが街づくりとなると様相が異なる。当時恵比寿のそれは渋谷区で最後の開発事業と言われた(そんなことはないその後の開発もあった)。道を挟んでその土地を所有している人が、開発が終われば、賃料は倍近くになると鼻高々に自慢していた。ところが賃料は上がるどころか、開発の前より下がり、テナント誘致もままならない。結果、多額の負債を抱え処分することになってしまった。

この例を挙げるまでもなく、開発によって周辺が潤うということは非常に少ない。ないとは言わないが、ほとんど影響しないといったほうが正しいと思う。

地方都市に行くと今でもアーケード街を目にする。色々なタイプのアーケードがあるので一言では言い表せないが、あのアーケードというのも巨大な箱の開発に似ている。つまり恩恵を受ける内側とほとんど受けない外側に大別されるからだ。アーケードの外側には人々はほとんど足を向けなくなる。結果、都市の回遊性は歪められる。

ではどういう開発がその街にとって良い開発なのだろうか。代官山を例に上げると、この街の発展はまず渋谷のエスケープゴートとしてトレンドに敏感なアパレルが移動してきた。80年代のことだ。当時はまだ一種住専により建築上の規制が厳しく、低層階の建物しか建築できなかったが、そのため環境は保全され、ヒルサイドテラスは後世に名を残す名建築となったわけである。一方、その後八幡通りにも中小のブティックや飲食店が出来始めた。同潤会は建物の経年寿命は既に過ぎていたが、古い建物の中には魅力的な専門店が集まっていた。これらの点と点が互いに引きつけあい、代官山はトレンドセッターとしての地位を向上させた。ところがそれに目をつけた大手資本が同潤会の解体と新たな建物建築を推し進めたのである。出来上がったものは大きな箱。もともとあった小さな点の連続性は消え失せ、大資本、ナショナルチェーンの店が名を連ねた。周辺の賃料は一時的に高騰したが、中小や若手のデザイナーはこうしたポプュリズムが蔓延し賃料が高額化した代官山を嫌い、空室率は上昇し、賃料も下落した。商業ビルのテナント誘致もままならず、結果、当初のファッション性は消え失せ、今やベビーカーの展示場となってしまった。

街づくりをしたいのなら、点の連続を分断してはならない。大手資本が進出しているにも関わらず裏原宿といわれるエリアの元気が良いのはこの連続性を保っているからだ。私のいる中目黒も同様、大手資本が進出しているが一見するとそれが大手なのか分からないように、街の中に溶け込み自然な顔を作っている。そしてもうひとつ肝要なのが多様性ダイバーシティである。色々な業種が混在し街を作る必要がある。目黒通りは、この20年で家具通りと呼ばれるまで家具店が増えた。20年前はファミレスと自動車ディーラーが点在する城西地区の典型的放射道路だった。それがこの変わり様である。近年では夕方からワイングラス片手に入店待ちの客が列をなす飲食店や、女性シェフの男っぷりの良い料理が客を楽しませてくれるイタリアンなどまだまだ少ないが魅力的な店も増え始めた。それが根付いてくれればきっとよい街並みが出来上がるだろう。そう街は人が創るものだからだ。







2013年12月9日月曜日

幸せの時間

私にはあえて友人と呼ばせてもらいたい若い才能を持ったご夫婦がいる。ご主人はバックミンスター・フラーの研究者でもあるがそんな一言では括れないとにかくマルチな才能を持った人物である。近年、積み木の家で有名な相田武文記念賞も受賞されたのでご存じの方も多いと推測される。奥様も建築士として住宅を始め幾つものプロジェクトに携わりこれまた多忙を極める人気建築家である。そんな二人に今年第一子が生まれた。二人に似て美男美女その上才能もときたらさぞ親である彼らの心配は今から容易に想像できる。
その奥様がある雑誌の取材に応じている時、隣の部屋で寝かせていた赤ちゃんがぐずり始めたというのである。親は気が気でない、取材にも集中しなければならないし、子供の心配もしなければならない。まさに自分がその時ライターに対して何を受け応えたのか分からなくなったとブログに書かれていた。私はその光景を想像した。大いに結構、素晴らしいではないか。
奥様はこれからもずっとその雑誌を見るたびに子供の鳴き声とその時のことを思いだすであろう。それは今では想像できないかもしれないが紛れも無く夫婦子供にとって幸せの時間なのだ。
子は育つ、もうその時の赤子には戻ってくれない。そんな大変な子育ての時こそ親にとってしあわせの時間であると私は断言する。そう、幸せの時間は近くにいると見過ごしてしまいがちだ。遠くになってもう手が届かないようになって幸せだったとわかるのである。
まだ二人は若い。これからも楽しい幸せの時間を共有できる。本当に羨ましい。







2013年12月8日日曜日

判官贔屓 ボジョレーワイン

バブルの頃にはテレビでボジョレーヌーボの解禁日には世界で一番早く新酒のワインが解禁される国とあって、深夜なのにお祭り騒ぎで沸き立つ消費者をあちこちの局で取り上げていました。ところが今日ではほとんど話題にされないどころか、ボジョレーワインは味が薄くて美味しくないと放言され肩身の狭い身分となってしまった感が歪めません。あの無馬鹿騒ぎは要らないとしても判官贔屓の私としては少しだけボジョレーワインの味方をしたいと思うのです。

そもそもボジョレーワインは味の薄いワインでしょうか。半分マル、半分バツだと思うのです。ボジョレーワインの葡萄は他のブルゴーニュと違いガメイ種という葡萄を使います。この葡萄の特徴はピノ・ノワールのように長期の熟成にはあまり向かないと言われていて、よってすぐ飲めるようなあっさりしたワインが多いは事実です。ところがこのガメイ種でワインを作っているのはこのボジョレーやマコンの一部の地域に限られ、フランスでも非常に珍しい葡萄なのです。
歴史の勉強になりますが、ブルゴーニュにブルゴーニュ公爵フィリップ豪胆公という人がいて、覇権を握っていました。こういう人が権力を持つと自分の好みを万人に押し付ける傾向があります。よってワインを作る農民にガメイ種の葡萄を使ってはならんという御触れを出したのだそうです。なにせ豪胆であるから。お触れの名前はガメイ禁止令。これによってブルゴーニュのほとんどはピノ・ノワールを栽培するようになり、ガメイ種は他では作られないようになって、細々とボジョレーとマコン地区で生き延びることになったということです。
先程の半分バツのことについて補足します。つまり、ボジョレーワインでもある程度骨格のしっかりしたワインも存在するのです。ロマネ・コンティやミジュニーとは様相は異なりますが、しっかりとした風味は味が薄いなんて言わせないものです。こうしたワインは料理にも合います。ジビエや鴨肉など濃い味のものは避けるにしても、鶏肉や豚肉の料理にはこちらのほうが良いと思えることもあります。ただし、ヌーボーは駄目です。最低でも1年以上寝かせたものでなければ合いません。
もしあなたも判官贔屓ならボジョレーを是非飲んでくださいませ。それでも購入したボジョレーは飲めないと言う人はホットワインにすることをお勧め致します。これなら寒い冬の夜身体を芯から温めて幸せな気持ちになりますから。







2013年12月6日金曜日

味の多面体 八十八の鰻

味の多面体 八十八の鰻

表題のような誰かの本を読んだことがある。まあその話は余談にして、鰻について以前つれづれと書きしるした。その時、横浜の老舗「八十八」の復興が待たれるとしていたのだが、この春に八十八が二店舗一気呵成にこの復興を果たしたのである。
実はここには偶然の偶然が関係している。私が「八十八」を知ったのはつい最近山口瞳著「行きつけの店」という本の中である。この本は鎌倉の古本屋で見つけた。簟戸に戻り頁をめくると最後に筆で花押のような元気なサインがあった。そのサインが目的で購入した訳ではなかったし、本は至極まっとうな価格であったのでなんとなく得をしたような気分だったことに気を良くしてその事を友人に話すと、何と友人は山口氏の水彩画を持っているという。友人は大手のカード会社に長らく在籍していて、氏はカード会社で発行する紙面にコラムを寄せていたようである。そんな縁でその会社のロビーには山口氏の関連する書や水彩画などが飾られていたとのことである。ところが組織というのは突然消えてしまったり、生まれたりする。そんな憂き目で氏の絵は散逸する寸前のところで友人に助けだされたという顛末だった。
そんなことをブログに書いていたら、どこでどうしたのか八十八の関係者の目に止まったようである。私のところに店の復興を祈願する期間限定のイベントのお誘いが届いた。昨年の春の話だ。場所はゴールデンウィークでごったがえす横浜球場である。もちろんノコノコ出かけ「もうこれ以上は無理というギリギリの辛口の極上鰻」を食したのである。
鰻は関東風が一番だと思っていた。その考え自体は変わらないのだが、ある発泡酒のイベントで京都出身の方とお話する機会を得た。そのイベントでも主催者側の奨めるそれより、自らの舌と好みを公言して憚らないあたり並の方ではないと思っていたが、案の定、京都でこだわりの豆腐を作っておられる経営者であった。関西はもとより関東の大手スーパーでもその豆腐は販売されているし、組合の理事も務められているようであるから食の専門家エキシスパートであった。その方と鰻の話をした時、やはり、鰻は蒸さないほうが美味しいと言っていた。その時はそれまでの食習慣や文化の違いかと思ったが、よく考えてみると、私はほんとうに美味しい蒸さない鰻をたべたことがないのではないかと思うようになったのである。ロースよりヒレとつい最近まで思っていた、あの35年の不覚と同様だ。逆にあの方もほんとうに美味しい蒸した鰻を食べたことがないのかもしれない。文化の不通とはしばしばそういう時に起こるものだからである。だから私は美味しいと聞けば蒸そうが蒸さすともまず行って食べてみることにしたのだ。
昨日、八十八のうなぎを食べて、あらっと思った。頭のなかで配線が繋がったような気分だった。八十八の鰻はザラメを入れない。醤油と味醂だけである。だからタレは相当に辛い。辛い鰻が駄目という人には無理だろう。ただし、塩っぱいということはないからご安心あれ。食べながら過去にたべた鰻の味を思い出していた。野田岩、川千家、宮川、菊川、櫻屋、つるや、島むらなどなど、とりあえず舌の記憶に新しい川千家、つるやと八十八を頭のなかで比べてみた。タレの辛さは八十八>つるや>川千家の順である。おそらく。そして蒸し加減、つまり柔らかさは川千家>つるや>八十八の順番になる。見事なまでにタレの辛さに反比例している。
私が美味しいと思っているこの三軒はタレと鰻の蒸し加減を自らの経験に寄って調和させていたのである。私は唸った。美味しい蒸し鰻を食べたことがないと言う人はこの調和が取れていない鰻を食べたのではなかろうか。柔らかく身が崩れそうな鰻に辛いタレではタレを食べているようだし、蒸しの甘い鰻に薄いタレでは負けてしまう。経験によってのみ知識は集約し価値を生み出すというが鰻とてあながち間違いではなさそうである。
そう、料理は多面体なのだと一人悦に入る私である。








2013年12月3日火曜日

ブランドの憂鬱

ブランドの憂鬱

 今、日経新聞の朝刊にコトラーがコラムを飾っている。コトラーは私達のよく知るマーケティングの先駆者である。そのコトラーを持ち出すまでもなくブランドというのは厄介なものである。認知されるにも時間が掛かるし、一度認知されるとこれまた勝手な変更が出来ない代物なのだ。
某牛丼チェーンの社長が今までで一番高いメニューを作ったとニュースで自慢そうに話していた。つい最近、大手ハンバーガーチェーンが同じような高価格戦略で大きく売上を落としたと発表したばかりなのに、こうした人には多くのブレーンがついているだろうに何故同じようなことをするのか不思議である。
私のスタッフと関係ある某ラーメン店がフードコートに出店した。出す前から苦戦を予想していたが、案の定のようである。そもそもフードコートにやって来る客はどうしてもそのラーメンを食べたいから来ているという欲求の強い客ではない。お腹も空いたので「何か、これくらいの金額で」と探しているのだ。隣のさぬきうどんの店が500円、その隣の洋食店が600円なら、750円のラーメンは相手にならない。たまに気にしない客もいるだろうがあくまで少数派である。
大手はすぐ苦戦する数字を見て内部構造の問題に置き換えそれを打開するために高価格戦略を打ち出す。しかし土台無理な話しだ。こうしたチェーン店は己の出所をもう一度考えてみた方がいい。一般の飲食店には出来ないような大量仕入れ、大量調理によって原価を下げて安く売っても儲けの出る仕組みを作り、他との差別化を図ったのだから。
都内にもお茶漬けで有名な食品メーカーのファミレスがあった。何度もメニュー変更しても上手く行かなかった。これも同様、私達の頭のなかにブランドイメージが出来上がっているからだ。いくらメニューに本物の松茸を使ったお吸い物と謳っても誰もあの袋に入ったお吸い物しかイメージ出来ない。

今やなくなってしまったが鎌倉の駅前の古い商店街に老舗の鰻屋さんが店を出していた。
私はその鰻を土産に買うことが多かった。あるときその鰻屋でない由比ヶ浜通りの老舗の鰻屋で鰻を買った。もちろんこちらのほうが千円も高い。ところがどうだろうその鰻を食べた息子は駅前の鰻で十分というのだ。ならば今度はとその由比ヶ浜通りの老舗の鰻屋に息子を連れていき食べさせた。すると息子は、これはこの鰻の価値がある。これは家で食べる鰻とは全く別物と物申すのだ。なるほど家で食べる鰻は駅前のそれで十分であり、店で食べるなら由比ヶ浜通りの老舗の鰻屋を選ぶということか。
これはまさにブランド化である。消費者の側が経験により選別しているのだ。ブランドとは一様な条件で評価されるのではない。場所、時間、季節、体調その他もろもろの諸物を考慮して初めてブランド化されるわけである。
マーケティング本の中に究極のロイヤルティはそのブランド(商品)を家族に勧められるかどうかだという事が掲載されていた。なるほど自らを顧みると・・・そういうことにしておこうと密かに思うのだ・・






2013年12月2日月曜日

クラス会


大学のクラス会というのは色々な人に聞いてみるが中々珍しいらしい。確かに新入生の頃最初クラスに振り分けられるが共通する授業は幾つかにとどまり、あとは各人が好きな授業をとっていく。さらに上級に進めばゼミや各人専門が分かれ一緒に集うことは少なくなるからだ。

ところが昨年辺りから有志が立ち上がりこのクラス会が開催されるようになった。
ある作家が面白いことを言っていたのを思い出した。高校卒業が最終学歴のその作家が言うには友達と呼べる友達は高校まで一人も居なかったというのである。今いる友だちはそれ以降つまり社会に出てからなのだと。確かに一理あると思った。私も考えてみると中学までの友達で今でも付き合っている人はいない。高校で数人、大学ではその倍以上になる。そして社会人になってからの友人のほうが圧倒的に多い。その理由は簡単である。義務教育という好き嫌い関係なく押し込まれた箱の中で私達は友達ごっこをしていた。しかしあくまでそれは「ごっこ」であり、実際の友達ではない。私達はそこまで成長していないからだ。そしてその枠がなくなればその友達との音信は無くなる。
高校や大学の場合、決められた箱は同じだが、社会的階層が近しい人が多い。つまりその後の社会に出ても同じようなステージで出会う機会も多くなる。だからその一部の人と繋がっていられるのだろうと推測する。

ところが社会に出てからの友達というのは決められた箱のなかで選ぶわけではない。子供の学校だったり、共通の趣味だったり、自らがその箱自身を選ぶことが出来る。そこには共通の話題が存在する。ここが肝要である。この共通の話題が無いまたは少ない場合、友達との関係は疎遠になっていくからだ。私も一度だけ中学の同窓会に参加したことがある。苦労をして幹事をされた方には申し訳ないのだが出席していること自体苦痛だった。共通の話題が全く無いのである。

話を大学のクラス会に戻そう。今回で3回目であるがどうしてなかなか楽しい。もちろん会社の肩書やその規模で人を判断する年齢ではなくなったということもあるのだろうが、話題を見つけやすい。その理由は合う前にお互いの概況を確認できるということが大きいのではと思う。そうフェイスブックやブログを読めば今どんな仕事をしているとか、どんな趣味なのかといったことは悠々に理解できるからだ。このことは前と比べて大きな変化だと思う。中には会社の重職のためこうしたソーシャルネットワークに情報の発信をすることの出来ない人もいる。そうした人でも相手の情報は読み取れるわけだ。私は4年前にこのリスクとメリットをよく考えた上で友人からやってみればと勧められた。お陰で今では色々な友達との会話がしやすくなった。
時々、妻より早く私が昼食に食べたものを知っている輩もいるがそれはご愛嬌。だから悪い事や嘘はこのSNSでは出来ない。情報というのはものすごい速さで正誤性の合わないものに収斂していくという法則があるからだ。それ以外ならとても使いやすくハッピーな道具なのだが。










2013年11月29日金曜日

911礼賛

911礼賛

911を手に入れて3年がたつ。普通なら他の車に触手が動く頃であるがまだまだ飽きが来ないどころか、新しい発見が続いている。
はっきり言っておく911は見栄を張る車ではない。最近はやっと電動になったようだが、私の911のドアミラーの格納は手動である。ダッシュボードの計器類やシートも何だか安っぽい。最近では手の当たるスイッチの表面の塗装が剥げ落ちてきた。内装や仕上げは品質的に見ても国産車より劣る気がする。恐らく車のことを知らない人が見たら、カエルに似た安っぽい車だと思うだろう。このあたりはスリーポインテッドのメルセデスのAMGや跳ね馬のフェラーリには到底及ばない。
では何が魅力なのか。それは運転してみなければ分からないだろう。現在の911は誰でも運転できる車になったとはいえ、車高の低さや3035の扁平率のタイヤを履くために最低でもこうした種類の車の理解が必要だ。それを逡巡して余りあるならば女性でも男性でも楽しめる。
さて車に必要なことは何か。突き詰めれば走って、曲がって、止まる。これだけだ。つまりこの3つのことに特別な思いを入れて作った車が911なのだ。ご存知のようにフラット6を搭載するのは911くらいだ。より大きな馬力を必要とするならばV型エンジンに過給器をつければ良い。ただし、エンジンが大きくなるので大きな格納庫が必要となり、それを収めるボンネットは巨大になるか、フェラーリのように後室を潰してエンジンルームにしなければならない。こうした巨大化したスポーツカーは日本の実情には合わないのではないかと感じる。駐車場には入らないし細い道には侵入できない。専属のポーターでも雇わねばならないかもしれない。そこへいくと911は丁度いい。後輪のオーバーハングに慣れるには時間が必要だが、以外と短いホイールベースが幸いして、ほとんどの段差を解消する。
911のブレーキはよく効く。この車に乗って分かったのだが、いくら電子制御を行ってもフロントに重い物を載せている車が停車するには相当な慣性モーメントが働く。つまり動き続けようと車を前に引っ張る力だ。そこへ行くと911のエンジンはリアにある。しかもコンパクトなエンジンである。ブレーキを踏めばダイブすることなしに車は止まるのだ。このあたりはフェラーリも同様だと思う。
もうひとつの利点はハンドリングの素直さである。あれだけ太いタイヤを履いているのに車体の剛性が良いため、重さを感じない。純正のピレリPゼロロッソからBSに履き替えたらさらにグリップが良くなった。そしてハンドルをある一定角以上で切っているとロックアップしない。これはコーナーで限界近くを走っている時、ロックアップするとトラクションを失いスピンしてしまう事を防いでくれる。さらにアクセルが途中開度を容認してくれる。つまりギアをホールドしてくれるのだ。これもありがたい。
ようするに走っていて、運転が楽しいクルマなのだ。
私はM5にも乗ったことがある。あれはV10エンジンだった。ランボルギーニ・ムルシエラゴにも乗った。あれはV12だった。総じてV10以上のエンジンは高回転型で街乗りの低回転のトルクが不足している。そこへいくと911は例え時速40kmで走っていても実に気持ちいいのだ。
しばらくは911の魅力に贖えないと感じている。果たしてこの車を忘れさせてくれるような車が存在するのだろうか。やはり911の次は911か。