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2014年1月29日水曜日

魚住む水を選ぶ

オリンピックで金メダルを獲ったフィギュアスケートの女性がテレビのコメンテーターの質問で、当時のことを思い出し、その時自分やまわりの事をとても客観的に見られた、自分に驚いたと言っていた。人間有頂天になると目の前のことしか見られない場合が多い。これはスポーツに限ったことではなくビジネスの世界でも同じだ。

よく趣味を仕事にしている人がいる。多くの場合は結果的に失敗をしている。成功体験というものは厄介なものでそれに縛られると前を見られなくなる。大きな失敗体験も同様だ。戦争でそのような苦い辛い経験をした人が日常生活に戻れない場合は極度にその体験を忌避する傾向が続く。もっとも、その戦争についてもっと多くの情報を得ていた上官や士官はそうならなかったという。彼らは失敗をある程度予測していたのだと思う。それを証拠に戦争から戻ってビジネス社会で頭角を表した人が少なくはない。前者との対比は皮肉なことであるが事実のようだ。結局、それはその時に自分を客観的に捉えられていたのか否かなのではなかろうか。

失敗している人は総じて客観性が足りない。何故自分がそうなってしまうのか理解できない。そしてその人の周りも同じような感覚の人達が集っている。

先日、フルサービスのガソリンスタンドで従業員がキャップを閉め忘れ走行中にガソリンが吹きこぼれた。妻がスタンドに苦情の電話を入れたが、車を持ってきたら洗車をサービスすると言ったそうだ。それ以来、そのスタンドは使っていない。従業員も悪いが、その上司の感性に疑問を感じる。恐らく同じような失敗は無くならないだろう。

これに似たことが冷凍食品の農薬混入事件でも言える。罪を犯した人間が一番悪いが、売り物の商品をつまみ食いする習慣を何とも思わなかった、いや思ったとしてもその事を共感させられなかった中間管理職も同様に悪い。そういう組織にはそういう人が残るからだ。だから起こるようにして起こった事件でもある。

フレッド・ラルク・ヘルドというベイン&カンパニーの重鎮が一番のロイヤルティはその商品を自分の家族に勧められるか、とうかだと言っていた。恐らく、このつまみ食いをしていた工場では誰一人家族に冷凍食品を勧めようとは思わなかったはずだ。

トップや中間管理職は人がいなくなる心配が先立ち、違う色の人に媚を売ってはならない。結局、そういう人は大きなしっぺ返しで恩を仇で返すのだから。魚住む水を選ぶ例えの通りまずは自分を律し、共感力を高め、安心で安全な集団社会を構築することから始めるべきだと思うのだが。








2014年1月28日火曜日

SURFACEな街

表題の英語は正しくないらしい。SUPERFICIALというのが正解らしいが何となくSURFACEという言葉が私の場合にはあっているのでご容赦戴きたい。

からっ風の上州から上京してはじめに目にしたのが上野ではなく、浅草だった。浅草まで鐘ヶ淵、曳舟、押上と続く。駅を囲む街の姿は田舎と何ら変わらず、人々の生活感が街に充填され、息苦しかった。先に友人の住む玉ノ井には遊郭の跡があり、その建物は銭湯になっていた。人々の生活と歴史が刻まれているそんな街では上京した意味が無かったのかもしれない。少なくとも当時の私には。私は西に、西に住むところを求めた。東京の西側は当時もそして今も新興の住宅地である。人々の生活感はなりを潜め、小綺麗な街並みが絵のように嘘臭く続く。今住んでいる横浜も同じだ。同じような家並みが続き、同じような年収、同じような嗜好性の人達が住んでいるのだろう。

息子がロサンゼルスに留学した時、息子の上司に当たる研究者がロサンゼルスはアメリカでも特異な表面的な街であると卑下していたそうだ。確かにSURFACEという言葉がぴったりくる。
アメリカでの生活の長かった友人が面白いことを言っていた。東海岸の人達はアジア人にも親切に言葉をかけてくるというのだ。一方、ロサンゼルスなど西海岸ではそうでもないという。理由は西海岸に集う人は人種の坩堝宜しく多民族で千差万別のため、隣人と言っても私たちと同じ異邦人ということらしい。だから特別扱いはされないのだ。そこ行くと東海岸はWASPルールが徹底し、その裏返しなのだと。

それが原因か分からないが、私にはSURFACEな街が快適である。歴史や文化が成熟していなくても、私には息苦しさがない。だから私はSURFACEな街が好きなのだ。




2014年1月27日月曜日

重箱の文化

日本ではどこの家庭でも重箱の一つや二つはあるのではないか。ハレの日にこの重箱に美味しい物や大切なものを入れて衆人にお披露目する。その時まで中味は見せない。
会社のスタッフが日本人にはフェイスブックよりラインの方が合っているのではないかと言っていた。確かに日本人は限られた仲間うちで物事を進めようとする傾向がある。それを控えめな日本人の文化性や閉ざされた空間の美意識として賞賛される場合もあるので、よし悪しは付けられない。
街を歩いていて、日本には多くの塀があることに気付かされる。西洋ではあまり見かけない類の塀が狭い土地を縦横無尽に囲んでいる。
日本は土地が狭く、複雑な権利関係によるトラブルを避けるために塀を作るのだとその合理性を主張するむきもあるだろうが、多くは後付のような気がする。
塀を作るべきでないとは言わない。ただこれだけ街の景観に影響を及ぼすものなのにそのデザインや機能性に無頓着すぎるのだ。
セントラルパークにはほとんど塀がない。石積みの土留が周りに設置されている程度で威圧感や人工的無機質な感じは受けない。
公園だから警備や安全面の担保が少ないのではと言われるかもしれないが、その点を考慮してもあまりに日本の塀はデザインや環境は二の次で安価ならなんでもいいと脳天気すぎると思う。
小石川植物園は私の好きな場所だ。広い園内は緑が多くとても安らげる。ところがその塀ときたら、この脳天気で無粋なコンクリートの平板が張り巡らされていて、興ざめしてしまう。
やっと南西側の無粋な塀が変更された。出来るじゃない。きちんとデザインと機能性も考えた塀がやっと構築された。
東京でも緑化規制と同様に建物の外周に設置する塀について、環境デザインを考慮して規制すべきだと言うと、個人の自由を奪う気かとこれまた反論されそうだが、成熟した街にするには必要だと思うのだが如何であろう。



2014年1月24日金曜日

規制緩和の弊害

個人的には規制緩和について原則賛成である。組織の利権を守るために不必要な経費を計上し、挙句の果てには国民にこのツケを払わせる類の規制は百害あって一利なしだと思っているからだ。しかし、そうした規制緩和にも弊害がある。

30年近く前の広告業界には厳しいルールがあった。外資系の広告会社が先鞭した比較広告というものはすでに日本でも広まりつつあったが、広告会社の矜持なのか不明だが、全体で見れば僅かなものだった。それが数年後にはこの手の広告が大手を振ってテレビから流れていた。

それでも国民を遊興に勧める類のパチンコや公営ギャンブルのCMはテレビではご法度だった。ところが、昨今ではそんな時代があったのかとばかりに、昼間からお茶の間に流れている。
プロの競技、例えばゴルフのスポンサーも昔は選別されていた。いくらお金を積んでも公共の電波にのせるには相応しくない協賛はお断りしていたはずなのに昨今ではおかまいなしである。

製薬会社も同罪である。製薬会社の企業イメージの広告や市販薬なら構わない。ところが医師に処方してもらわなければならない薬品もテレビでコマーシャルする。例えばS社はインフルエンザの薬として点滴治療薬を宣伝する。よって、何もわからない高齢者は点滴の治療薬を欲しいと医院に駆け込む。医院ならまだいい、高度医療を旨とする病院にもこの手の患者が押し寄せ、点滴をしろと時間と税金を使わせるのだ。

情報の非対称性が必要な場合もある。それは両者の間に察かに知識と理解力の差があり、全ての情報を流すと混乱してしまう場合だ。それを知っていてあえて流すということなら何かしらの恣意性を感ぜずにはいられない。

儲かれば矜持などいらない。何でもするというのか。規制緩和によって人間としての良心のハードルを下げることはしてはいけない。寝覚めの悪くなる規制緩和はご勘弁を。




2014年1月23日木曜日

足尾から来た男

谷中村を舞台にしたNHKの土曜ドラマが始まった。足尾銅山の鉱毒事件の頃の一人の女性の奇跡と流転を綴った話である。主演は火の魚で主演デビューを果たした頃から注目している尾野真知子である。

私は小学生の頃から谷中村や足尾銅山を見ていた。谷中村のあった場所は遊水地となりあたり一面蘆原で当時の面影はないが、足尾は生々しい。
窯のすぐ右手の山は禿山で、黄土色の山肌に降った雨が幾本の深い皺を作っていた。この辺りの渡良瀬川は見た目には清らかで透明なのに魚が住んでいなかった。水は冷たい。銅山の水が流れない支流の沢に行けば、イワナや山女がいくらでもいたのにこの川には一匹もいなかった。
私の住んでいた街はこの渡良瀬川のずっと下流だったので流域の住民の生活排水が流されていた。近くでは屠殺場から夥しい異臭を放った排水も流されていたから、誰の目にも綺麗だとは映らなかったはずだ。
屠殺場から数キロ上流に赤堀という岩場のある少し深くなった場所があった。遊泳が禁止されていたが夏には子供たちの飛び込みの場となっていたが、毎年必ず誰かしら死者が出ていた。
今は亡くなってしまったが立松和平氏が父に足尾のことを取材に来たことがあった。後に氏が執筆する「毒」の下書きになったのであろう。父が町に提案しても箸にも棒にも掛けてもらえなかった植林運動を氏はその後もずっと続けていた。

こんなきたない川に魚はいた。地元ではハヤと呼ばれるウグイである。梅雨の特異日である一日に限って川岸に赤いお腹を擦りつけ産卵をする。あたりは白濁し、魚はそのまま死んで流される。

子供の時に見た光景は印象深く、その後の人生に大きく影響を与える。今の子供達は貧しさも汚さも生まれた時から目にすることがなかったのだ。要するに足尾から来た男の昭和とは貧しく汚い時代だったのだ。
今は何処へ言ってもナショナルブランドの同じ洋服が買え、ファストフードも食べられる。小奇麗な駅にはバリアフリーのエレベーターも付く。それが悪いとは言っていない。すべて小奇麗で安心したもの定着したのだ。






2014年1月22日水曜日

技術の時代

昨日テレビでビットコインの特集をしていた。この通貨(通貨と呼べるかどうかは別として)を誰がどうして作ったのかは不明のようであるが、経済危機の叫ばれるヨーロッパ、特にキプロスやギリシャで国民が自己防衛の一手段として活用したことが爆発的に広がりを見せるきっかけとなったことは、その後の投機的価格乱高下と比しても皮肉である。
そもそもEUは自由貿易という錦の御旗によって経済格差のある国を同一通貨のユーロとして統合したわけである。つまり国というユニットを解体し、全体を集合体としてユーロ圏全体の経済、通貨を一極で管理し始めた訳である。ところが各国の中央集権的国家体制は一向に変わらぬまま、この並列的制度に飛びついたわけだから歪が生じる。経済力がなければ国家としてデフォルトの危険性が生じ、全体通貨ユーロの信用も揺らぐ。そこで主軸国はこれらの弱小国に圧力を与え、国民の預金封鎖や圧縮を国民に迫った訳である。
そこで窮した国民は国の中央銀行よりビットコインを信用し始めた訳である。発端はそのような欧州の通貨事情と政治力だったのかもしれないが、その後、中国を始め世界中の溢れかえった投資マネーも黙ってはいない。結果、みるみるうちにビットコインの価格が急騰した。
インド、タイ、中国を始めビットコインを禁止している国もあれば、ドイツのように課税目的で容認している国もある。アメリカも警告は鳴らしているが禁止はしていない。もちろん日本ではまだ検討中である。何故なら条文が書けない。

そもそもビットコインは一般の中央銀行の管理する通貨と違って、発行する額面は決まっている。その点が他の貨幣との一番の違いである。つまり貨幣の統制を誰も行えないということである。完全な自由主義経済について議論のわかれるところであろうが、つまりは信用力となる基盤も実体も何もない、仮想の貨幣なわけである。アメリカの言うように完全なる自己リスクは当然といえば当然の話しだ。

今から25年ほど前にこんな本を書いていた人がいる。私が「縦社会の人間力学」の講義を受けていた頃だと思う。初めて読んだのはそのずっと後になるが、今考えても筆者の論点は面白い。
日本、しいては世界全体を簡単に区分けしてしまう簡便なきらいがあるが、そのどちらも大きく分けて宗教の時代、国家(政治)の時代、経済の時代という過程を経ているというのだ。そして、最終的には「技術の時代」になると将来を予測していた。
私はこのビットコインを聞いた時にこの本の事を思い出した。ある一部の優秀なプログラマーが遊びのために作ったものが、インターネットを介して爆発的に広がりを見せる。まさにパンデミックのように。そして国家はこの片鱗さえ分析理解できない。ビットコインがブラックマネーに流れているとしてもその仕組とフローはまるで理解できないから、制裁を与えたくても出来ない。私たちは授業で資本主義と社会主義という、NATO対コメコンというような政治図式を習ったが、もうとっくにこの境界はなくなってしまった。さらに前述したようにヨーロッパは統合され統一通貨を導入した。ドルや円の価値は、人民元に比べて低下している。そして日本は膨大な累積赤字の後ろにデフォルトの背後霊が付いている。
日本もアメリカも今のような脳天気な事を言っていられるのはいつまでだろう。ビットコインに求心したキプロスやギリシャの国民と何ら変わらないのに。





2014年1月20日月曜日

古代エジプト人

ラムゼイ1世の時代のことであった。裕福な家柄の家長と思しき年配の男性が皆に向かって。「昔は良かった、勤勉に働き、ともに苦労をしてきた。ところがどうだろう、今の若者ときたら遊ぶことばかり考えて、ろくに働きもしない」と言って嘆き始めた。
私はいつもこの話を思い出す。
つい、先日もテレビで若者と年長者に分かれて議論をしていた。何かのテーマがあったわけではなく、ただ「若者論」を好きお互い勝手に喋っていた。年長者の中には前述のエジプト人宜しく、自分の経験論を大上段に構えて、自分の若い頃は良かったと懐古的な叙情を示す。もう、一人は若者の心情を理解したかのごとく温和な表情で若者達と融和しようと懸命に努力している。
私はそのどちらもアホくさいと思ってしまう。大体、若者と年配で区分けして論ずること自体、馬鹿げた話であるし、有意義な考えだとは思えない。全てのことを二項対立的状況として演出するマスコミのそれは今に始まった事ではないが、そこから意味のある考えが発芽するとは考えにくい。
そんなことを言いながらも、私も時代論の本を読むことがある。つい、先日もバブルについてのある著者の本を読んだ。著者は大学で社会学の教鞭をとっているとのことだが、どうもこの手の学問には馴染めない。社会学全体がそうとは言わないが、これだけ変数の多い事象を大した考察もせず、こうだと断定するのは危なっかしくて仕方ない。
社会学だけではない。経済学においても人間の感情など今まで変数としては取り入れなかった要素を検討してそれを組み込み経済活動を分析しようとする動きが見られる。行動経済学といわれる分野はその嚆矢であろう。さらに公共性や社会性(帰属性)を視野に入れて考えてみようという動きもある。ここまで来ると一定の法則とは何ぞやと考えてしまうのは私だけであろうか。こうして文系分野のいろいろな学問が心理学的アプローチを思考し続ける間に、当の脳機能について益々複雑性が分かってきたというのは皮肉な話である。
前述の話に戻る。私の若い頃はとは言わないようにしている。私の若い頃は私の若いころであって。今の若い人の若いころも今の若い人の若い頃なのだ。決してこれからの人の若い頃よりこの若い人の若いころが新しくなることはないし、いつまでたってもその繰返しなのだから。
では歴史は繰り返すのか?そんな事はない、例えばもし今年フェレやアルマーニの肩パットの入ったジャケットが流行ったとしても、それは2014年に流行ったものであって。80年代の焼き直しではないのだ。物とはあくまで相対的な役割しか果たせないのだから。