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2014年1月31日金曜日

視座の転換


 以前にも視座の転換が重要だと言ったことがある。私の仕事、コンサルテーションとは言わば聞き役である。間違っても自分の意見を押し付けてはいけない。聞いて、聞いて、そして聞いて相手が満足した所で暗喩のように相手の考え方や行動が間違っていると感じたら視座の転換を図ることを勧める。それでも多くの人は視座の転換をすることは出来ない。
ある人の言葉を思い出す。事業を失敗した人に次はない。あったとしても同じように失敗する。確かに多くの人は自分の再起を図るとき、一定の愚行については理解はしているが全てではない。特に視座の転換が出来なかった自己に気づき修正できる人はまずいない。これは自戒を込めいつも心にしている。

これは視座の転換が出来た稀有な例である。

 首都圏の地方都市で小さな進学塾を経営していたその男は、生徒の母親に向かって、少子高齢化と景気のあおりを受け、大手の会社も含め教育関係のところはどこも厳しい経営が迫られているとマスコミ評論調の愚痴をこぼしていた。するとその母親は自分の周りにも働きたくても働けず、働けたら子供を塾に通わせたいと言っている人が多いという。その母親は看護士をしていたが、両親と同居で子供の面倒は祖父母が見ていた。病院の勤務は夜勤も含めて24時間制で子供が預けられなければ子育てと仕事の両立は難しいらしい。その話を聞いた男は保育園の実体を調べ始めた。すると母親が言っていたとおり、潜在的な勤労意欲のある母親がいても、保育園がなく働くことの出来ない母親が多いこと。そして、病院側も慢性的人手不足に悩まされていることだった。

その男は次に現状の保育園についての問題を抽出してみた。一番は保育士の確保である。保育士は過酷な労働に比して賃金が安い。そして社会的地位も低い。では労働条件を改善し、ステータス性をもたせるにはどうしたら良いか考えた。
まず、保育園を開園する場合の土地や建物の建設コストが経営に大きくのしかかる。それを克服するのはオフバランスの経営である。土地、建物を相手に提供させ、オペレーションに徹することだった。

もう一つはその保育園をオープンなものにするのではなく、ある特定の利用者に限る経営手法だった。その意味では有名な大学病院を保育所にすることは好都合であった。こうして経営方針を固めているうちに規制緩和の追い風が吹いてあちこちから保育所運営の話が舞い込み、急成長したということである。

もちろん地域に根ざしオープンな経営で質の高い保育を実践しているところもあるのでどちらがどうという話ではない。

色々な経営者が業界や景気の話をする。景気が悪ければ業績は悪化し、良くなれば回復するものだろうか。そんな事はない。考えてみてほしい、白黒の丸が並んだ大きな紙面を見て遠くからグレーだという人がいたとしても、実際にひとつ一つは白と黒なのだからつまり景気もその企業によって違うのが当たり前だ。

ある経営者は景気の話をしない。それよりもどんな時に聞いても「ぼちぼちでんな」としか言わない。その経営者は中々のものである。絶えず感度の良いアンテナを張り巡らし、視座の転換を図っている。そうそう、りんご箱だけがどうして真鍮の大きなホッチキスで止めなければならないのか、その事に疑問を持った彼は独自の梱包箱を開発してしまったそうだ。視座の転換を図るにはまず些細な事に耳を傾けることではないか。




2014年1月30日木曜日

夢とうつつ

私はよく夢を見る。一時期、2年程見た夢を記録しておいたことがある。自分の行動の中で夢の要素はある程度理解できるが、中には遠い昔の事で記憶にもないような残滓のようなものが夢となって現れることもある。こうした時には驚く。そんな夢を見ると如何に自分が狭量で聖人とはかけ離れた胡散臭い人間なのか再確認させられる
私たちは毎日、自分の意思、意思でないに拘らず様々な選択をしている。もしあのとき自分がこうしていたらと思うとこの今ある現実が現実なのか夢なのか不安になることがある。
人間死ぬときに何を考えるのだろう。十返舎一九は絶世の句としてこんなものを残している「の世をば どりゃおいとまに 線香の煙とともに はい左様なら 」。ここまで軽妙に洒脱にはいかないだろうが、上方の芸人の言っていたように「いい夢みさせてもらいました。ほな、さいなら


2014年1月29日水曜日

魚住む水を選ぶ

オリンピックで金メダルを獲ったフィギュアスケートの女性がテレビのコメンテーターの質問で、当時のことを思い出し、その時自分やまわりの事をとても客観的に見られた、自分に驚いたと言っていた。人間有頂天になると目の前のことしか見られない場合が多い。これはスポーツに限ったことではなくビジネスの世界でも同じだ。

よく趣味を仕事にしている人がいる。多くの場合は結果的に失敗をしている。成功体験というものは厄介なものでそれに縛られると前を見られなくなる。大きな失敗体験も同様だ。戦争でそのような苦い辛い経験をした人が日常生活に戻れない場合は極度にその体験を忌避する傾向が続く。もっとも、その戦争についてもっと多くの情報を得ていた上官や士官はそうならなかったという。彼らは失敗をある程度予測していたのだと思う。それを証拠に戦争から戻ってビジネス社会で頭角を表した人が少なくはない。前者との対比は皮肉なことであるが事実のようだ。結局、それはその時に自分を客観的に捉えられていたのか否かなのではなかろうか。

失敗している人は総じて客観性が足りない。何故自分がそうなってしまうのか理解できない。そしてその人の周りも同じような感覚の人達が集っている。

先日、フルサービスのガソリンスタンドで従業員がキャップを閉め忘れ走行中にガソリンが吹きこぼれた。妻がスタンドに苦情の電話を入れたが、車を持ってきたら洗車をサービスすると言ったそうだ。それ以来、そのスタンドは使っていない。従業員も悪いが、その上司の感性に疑問を感じる。恐らく同じような失敗は無くならないだろう。

これに似たことが冷凍食品の農薬混入事件でも言える。罪を犯した人間が一番悪いが、売り物の商品をつまみ食いする習慣を何とも思わなかった、いや思ったとしてもその事を共感させられなかった中間管理職も同様に悪い。そういう組織にはそういう人が残るからだ。だから起こるようにして起こった事件でもある。

フレッド・ラルク・ヘルドというベイン&カンパニーの重鎮が一番のロイヤルティはその商品を自分の家族に勧められるか、とうかだと言っていた。恐らく、このつまみ食いをしていた工場では誰一人家族に冷凍食品を勧めようとは思わなかったはずだ。

トップや中間管理職は人がいなくなる心配が先立ち、違う色の人に媚を売ってはならない。結局、そういう人は大きなしっぺ返しで恩を仇で返すのだから。魚住む水を選ぶ例えの通りまずは自分を律し、共感力を高め、安心で安全な集団社会を構築することから始めるべきだと思うのだが。








2014年1月28日火曜日

SURFACEな街

表題の英語は正しくないらしい。SUPERFICIALというのが正解らしいが何となくSURFACEという言葉が私の場合にはあっているのでご容赦戴きたい。

からっ風の上州から上京してはじめに目にしたのが上野ではなく、浅草だった。浅草まで鐘ヶ淵、曳舟、押上と続く。駅を囲む街の姿は田舎と何ら変わらず、人々の生活感が街に充填され、息苦しかった。先に友人の住む玉ノ井には遊郭の跡があり、その建物は銭湯になっていた。人々の生活と歴史が刻まれているそんな街では上京した意味が無かったのかもしれない。少なくとも当時の私には。私は西に、西に住むところを求めた。東京の西側は当時もそして今も新興の住宅地である。人々の生活感はなりを潜め、小綺麗な街並みが絵のように嘘臭く続く。今住んでいる横浜も同じだ。同じような家並みが続き、同じような年収、同じような嗜好性の人達が住んでいるのだろう。

息子がロサンゼルスに留学した時、息子の上司に当たる研究者がロサンゼルスはアメリカでも特異な表面的な街であると卑下していたそうだ。確かにSURFACEという言葉がぴったりくる。
アメリカでの生活の長かった友人が面白いことを言っていた。東海岸の人達はアジア人にも親切に言葉をかけてくるというのだ。一方、ロサンゼルスなど西海岸ではそうでもないという。理由は西海岸に集う人は人種の坩堝宜しく多民族で千差万別のため、隣人と言っても私たちと同じ異邦人ということらしい。だから特別扱いはされないのだ。そこ行くと東海岸はWASPルールが徹底し、その裏返しなのだと。

それが原因か分からないが、私にはSURFACEな街が快適である。歴史や文化が成熟していなくても、私には息苦しさがない。だから私はSURFACEな街が好きなのだ。




2014年1月27日月曜日

重箱の文化

日本ではどこの家庭でも重箱の一つや二つはあるのではないか。ハレの日にこの重箱に美味しい物や大切なものを入れて衆人にお披露目する。その時まで中味は見せない。
会社のスタッフが日本人にはフェイスブックよりラインの方が合っているのではないかと言っていた。確かに日本人は限られた仲間うちで物事を進めようとする傾向がある。それを控えめな日本人の文化性や閉ざされた空間の美意識として賞賛される場合もあるので、よし悪しは付けられない。
街を歩いていて、日本には多くの塀があることに気付かされる。西洋ではあまり見かけない類の塀が狭い土地を縦横無尽に囲んでいる。
日本は土地が狭く、複雑な権利関係によるトラブルを避けるために塀を作るのだとその合理性を主張するむきもあるだろうが、多くは後付のような気がする。
塀を作るべきでないとは言わない。ただこれだけ街の景観に影響を及ぼすものなのにそのデザインや機能性に無頓着すぎるのだ。
セントラルパークにはほとんど塀がない。石積みの土留が周りに設置されている程度で威圧感や人工的無機質な感じは受けない。
公園だから警備や安全面の担保が少ないのではと言われるかもしれないが、その点を考慮してもあまりに日本の塀はデザインや環境は二の次で安価ならなんでもいいと脳天気すぎると思う。
小石川植物園は私の好きな場所だ。広い園内は緑が多くとても安らげる。ところがその塀ときたら、この脳天気で無粋なコンクリートの平板が張り巡らされていて、興ざめしてしまう。
やっと南西側の無粋な塀が変更された。出来るじゃない。きちんとデザインと機能性も考えた塀がやっと構築された。
東京でも緑化規制と同様に建物の外周に設置する塀について、環境デザインを考慮して規制すべきだと言うと、個人の自由を奪う気かとこれまた反論されそうだが、成熟した街にするには必要だと思うのだが如何であろう。



2014年1月24日金曜日

規制緩和の弊害

個人的には規制緩和について原則賛成である。組織の利権を守るために不必要な経費を計上し、挙句の果てには国民にこのツケを払わせる類の規制は百害あって一利なしだと思っているからだ。しかし、そうした規制緩和にも弊害がある。

30年近く前の広告業界には厳しいルールがあった。外資系の広告会社が先鞭した比較広告というものはすでに日本でも広まりつつあったが、広告会社の矜持なのか不明だが、全体で見れば僅かなものだった。それが数年後にはこの手の広告が大手を振ってテレビから流れていた。

それでも国民を遊興に勧める類のパチンコや公営ギャンブルのCMはテレビではご法度だった。ところが、昨今ではそんな時代があったのかとばかりに、昼間からお茶の間に流れている。
プロの競技、例えばゴルフのスポンサーも昔は選別されていた。いくらお金を積んでも公共の電波にのせるには相応しくない協賛はお断りしていたはずなのに昨今ではおかまいなしである。

製薬会社も同罪である。製薬会社の企業イメージの広告や市販薬なら構わない。ところが医師に処方してもらわなければならない薬品もテレビでコマーシャルする。例えばS社はインフルエンザの薬として点滴治療薬を宣伝する。よって、何もわからない高齢者は点滴の治療薬を欲しいと医院に駆け込む。医院ならまだいい、高度医療を旨とする病院にもこの手の患者が押し寄せ、点滴をしろと時間と税金を使わせるのだ。

情報の非対称性が必要な場合もある。それは両者の間に察かに知識と理解力の差があり、全ての情報を流すと混乱してしまう場合だ。それを知っていてあえて流すということなら何かしらの恣意性を感ぜずにはいられない。

儲かれば矜持などいらない。何でもするというのか。規制緩和によって人間としての良心のハードルを下げることはしてはいけない。寝覚めの悪くなる規制緩和はご勘弁を。




2014年1月23日木曜日

足尾から来た男

谷中村を舞台にしたNHKの土曜ドラマが始まった。足尾銅山の鉱毒事件の頃の一人の女性の奇跡と流転を綴った話である。主演は火の魚で主演デビューを果たした頃から注目している尾野真知子である。

私は小学生の頃から谷中村や足尾銅山を見ていた。谷中村のあった場所は遊水地となりあたり一面蘆原で当時の面影はないが、足尾は生々しい。
窯のすぐ右手の山は禿山で、黄土色の山肌に降った雨が幾本の深い皺を作っていた。この辺りの渡良瀬川は見た目には清らかで透明なのに魚が住んでいなかった。水は冷たい。銅山の水が流れない支流の沢に行けば、イワナや山女がいくらでもいたのにこの川には一匹もいなかった。
私の住んでいた街はこの渡良瀬川のずっと下流だったので流域の住民の生活排水が流されていた。近くでは屠殺場から夥しい異臭を放った排水も流されていたから、誰の目にも綺麗だとは映らなかったはずだ。
屠殺場から数キロ上流に赤堀という岩場のある少し深くなった場所があった。遊泳が禁止されていたが夏には子供たちの飛び込みの場となっていたが、毎年必ず誰かしら死者が出ていた。
今は亡くなってしまったが立松和平氏が父に足尾のことを取材に来たことがあった。後に氏が執筆する「毒」の下書きになったのであろう。父が町に提案しても箸にも棒にも掛けてもらえなかった植林運動を氏はその後もずっと続けていた。

こんなきたない川に魚はいた。地元ではハヤと呼ばれるウグイである。梅雨の特異日である一日に限って川岸に赤いお腹を擦りつけ産卵をする。あたりは白濁し、魚はそのまま死んで流される。

子供の時に見た光景は印象深く、その後の人生に大きく影響を与える。今の子供達は貧しさも汚さも生まれた時から目にすることがなかったのだ。要するに足尾から来た男の昭和とは貧しく汚い時代だったのだ。
今は何処へ言ってもナショナルブランドの同じ洋服が買え、ファストフードも食べられる。小奇麗な駅にはバリアフリーのエレベーターも付く。それが悪いとは言っていない。すべて小奇麗で安心したもの定着したのだ。