このブログを検索

2009年1月27日火曜日

感じたこと

ミルトン・フリードマン、カルブレイス、トフラー、グルーグマンら経済学者のもの、イノベーション理論に関する理系の書籍、そして以前読みかけていた複雑系の書籍を読み返していたら何か不思議な感じがしました。

新聞紙上に書いてある誰もが知っているような大企業のリストラ、分割していた会社の再合併などの事柄が起こっている事が不思議でたまりません。

重工長大、市場占拠率などオバマがGNPは古いといわれる前に既に形骸化しています。BMWを見てドイツ車と呼ぶ事が陳腐化しているのと同じく無意味です。経済は国境を越えているのです。

金融恐慌が全ての原因のように言いますが、既に構造的な無理が生じて、臨界点を迎えていたのではないでしょうか。

コンピューターシステムで「クラウド」といものがあります。簡単に言ってしまえば大きなサーバーを使う代わりに、遊休している複数のPCを並列的に使用し、組み立てていくものです。

一方、ストロガッツの「SYNC」やカウフマンの書籍にも記載されている一般に「複雑系」と呼ばれる、これらの学者の中には、人体は「選択と淘汰の偶然だけではない」と説いています。細胞はそれぞれ中央司令室のコントロールとは別に動き出す役目をもっており、それらが共調し仕事をしているというのです。(心臓のリズムを一定にする細胞の例)

実際カウフマンはこれらの現象理論を経済にあてはめ、「単純化する理論」だけでは読み取れないと言っています。同感です。だからと言って彼がケプラー、ニュートン、アインシュタインを無駄とは言っていません。経済学でも古典と呼ばれるマルクス、ケインズ、ミルなどを学ぶ事が不要ではありません。しかし、現在の経済学会は古典派、新古典派と呼ばれる2者択一的思考方法から抜け出しきれていないような気がします。

こんな時期です。「カオスから構築」なる青臭い事も考えてみることも楽しいのでは考えます。

0 件のコメント: