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2009年11月19日木曜日

教育論

常々教育は物を育てるのと同ように、水や肥料を丁度良い塩梅にあげて、あとは太陽と風にまかせるという感覚だと言っています。つまりあげすぎも、あげなさすぎも良くないということです。

テレビで全国学力テストの3位の福井県のある家族が取り上げられていました。兄弟全員が居間で勉強すると言う家庭でした。このことには納得します。我が家でも大きな丸テーブルは勉強机になり、あるときは弁論台になり、そしてあるときは工作机となりましたから強ち間違いではありません。

その本質には家族に見守られているという安心感でしょう。

それとは反対に「何故勉強しなければならないのかと問う子供」の家庭は、知らず知らずのうちに「お金が一番、儲かることは何」と教育してしまっているのです。つまり儲かることと直結しないことは無駄であると子供は推論しているのです。

内田樹氏が良いことを言っています。教育は非対称であり、何のために勉強するのかということはグレーゾーンであると。つまり知っているつもりで良いとも言っています。 暗黙知です。

子供に何のために勉強するのと聞かれたら「私だって何のために勉強するのかとい問いに対して自明な答えはないが、勉強することは将来に向けての土台作りであり、足腰をつくるようなもので、全く役に立たないかもしれないし、立つかもしれない、ならば少しでも勉強しようと思った」と答えましょう。

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