「残念な人の思考法」という本が売れていると聞きますが、そんな本を読まずとも残念な人の思考には共通点があります。
それは必要以上に自己評価を過大に行い、「自分は~」、「私だって~」とう接頭語が絶えず聞かれます。そして自分を変えられません。
そこには大きな思考法の違いがあって、何事にも注意力が足りません。相手の行動言説全てに注意力が散漫なのです。怠慢とは緊張感のない状態のことです。緊張するということは単に意識を集中するということではありません。その思考に至るまで広範囲の情報を仕入れてそれまでに頭の中で分析し、仮説を立てることです。
残念ながら、老若男女を問わず残念な人の思考にはこれがありません。
こんな諺があります。
「群盲象を評す」という言葉です。盲人が群がって象を触り、脚を触ったものは丸太のようだといい、尻尾を触ったものは鞭のようだといい、お腹を触ったものは太鼓のようだというと物のたとえです。残念な人はこの域を脱していないのです。
とりあえず私以上の年の人はもうどうでもいいでしょう。でも若い人はこれではいけません。残念な人になっては困ります・・・・
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