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2011年1月18日火曜日

朝吹真理子 芥川賞

作家の朝吹真理子女史が芥川賞を受賞されました。おめでとうございます。

彼女の「流跡」はドゥマゴ文学賞を受賞し、私も読みました。はっきりいって文章というのはその人が持っている能力そのものです。彼女の凄い所は、文章が時間空間を縦横無尽に駆け回れるところです。ですからの本も読み終えたときに何十年という時間が文章の記憶の断片によって体験させられるそんな感覚でした。



芥川賞の受賞作「きことわ」の舞台は葉山です。とわこ=夢を見る、永遠子、きこ=夢を見ない、貴子です。

序文だけご紹介します。後は新潮社より出版の本書をご購入の上読んで下さい。「流蹟」の文章マジック体験できます。

永遠子(とわこ)は夢をみる。



 貴子(きこ)は夢をみない。





「ふたりとも眠ったのかしら」



 さっきまで車内を賑わせていたたあいない会話もすでにとぎれて静まりかえっている。ひとしきりふざけあっていたが、長引く渋滞で貴子は眠ってしまった。すぐそばで立つ貴子の寝息を永遠子も聞くうち、意識は眠りに落ちこみかけていた。運転席から、「ふたりとも眠ったのかしら」と貴子の母親の春子(はるこ)の声があがる。永遠子はうすくあけていた目をつむる。後部座席を確認する春子の視線を瞼のうちでとらえる。目視しようのない春子のすがたをみている。夢のなかでの狸寝入りなどはじめてのことだと永遠子は思いながら、眠ったふりをつづけた。


 二十五年以上むかしの、夏休みの記憶を夢としてみている。つくられたものなのかほんとうに体験したことなのか、根拠などなにひとつ持ちあわせないのが夢だというのに、たしかにこれはあの夏の一日のことだという気がしていた。かつて自分の目がみたはずの出来事に惹き込まれていた。なにかのつづきであるかのようにはじまっていた。自分の人生が流れてゆくのをその目でみる。ほとんどそのときそのものであるように、幼年時代の過去がいまとなって流れている。とりたてて記憶されるべきことはひとつとして起こらなかったはずの、とりとめのない一日の記憶がゆすりうごかされていた。夢に足が引き留められている。永遠子は、隣で眠る貴子のしめった吐息が首筋にかかるのも、自分が乗っている車体をとりまくひかりも、なにもかも夢とわかってみていた。






 永遠子は、夏になると、住んでいた逗子の家からバスで二十分ほどかけて、葉山町の坂の上にある一軒家をたずねた。その家ではじめて貴子に会った。貴子は、母親の春子と叔父の和雄(かずお)と三人で東京から彼らの別荘であるその家に遊びに来ていた。春子と和雄は年子で仲がよく、いつも三人で葉山に来ていた。はじめは、新聞広告に出ていた管理人募集がきっかけで、別荘の管理人として働きはじめた母親の淑子(よしこ)に連れられて、永遠子はねっとりとした海の気を背後に、家にむかう坂道を上った。子どもが好きだという春子に誘われて、永遠子は、貴子がうまれる前から、たびたび葉山の家にかよっていた。春子が貴子をうんでからもそれはかわらなかった。年が経つにつれ、永遠子一人で葉山の家にむかうようになり、最後は貴子と布団をならべて寝泊まりをしていた。貴子と永遠子が最後に会ったのは、二十五年前の夏。貴子が小学三年生で八歳、永遠子が高校一年生で一五歳だった。ふたりは七つ年が離れていた。一九八四年のことだった。


 早朝から蝉がわんわんと鳴き、今日もとびきり暑くなるだろうという兆しをたたえているなか、永遠子は、春子と和雄と貴子の四人で、葉山の家から車で小一時間の三浦半島の突端にむかっていたのだった。風通しのよい岩場の濁りのはらわれた潮溜まりに手をいれた貴子は、海水温の上昇でうごきがとりわけにぶくなった赤なまこを水鉄砲がわりにぎゅっと握っては水を吐き出させ和雄にかけた。へたって水がでなくなると、またあたらしいのをつかみ、それをくりかえした。岸辺にちょぼちょぼと生えた芝のうえに腰をかけていた春子が野良猫をみつけ、貴子が車の中で食べ余した魚肉ソーセージをやりに、スカートの裾をすこしたくしあげて猫のもとへとにじり寄った。永遠子は岩陰の黒と白とがまだらに重なりあう隆起海食台の地層にひかれて、飽きもせずそれをながめていた。なまこを持った貴子に追いかけまわされ、Tシャツも短パンもすっかり水浸しになった和雄が永遠子の方にむかってくる。


「長袖だと暑いよなあ」


 和雄はひかりよけのカーディガンに袖を通した永遠子をいたわるように言った。


「暑くないよ」


 日光にかぶれやすかった永遠子は、夏の外出時にはいつもおおきな日よけ帽をかぶり、色の濃い長袖のカーディガンを羽織っていた。永遠子は、ほぼ水平に堆積したさまざまな年代の地層をひとつひとつ説明し、千二百万年前から四百万年前にかけて堆積した海底火山の溶岩が冷えて固まった黒がちのスコリアや、そこに挟まる火炎状にゆらいだ白いシルトの荷重痕をなで、これは水深三千メートル下で起きた運動の痕跡なのだと中学校で教わった知識を和雄と春子に披露した。


「あの白っぽいのはいつごろの地層なの?」


 春子は視線を遠くにうつし、ところどころ白くなっている鋭く切りたった岸壁を指してたずねる。永遠子は口に手をあてて笑う。


「あれは、海鵜の糞(ふん)」


「えっ。白いところ全部?」


「そう。毎年渡って来るから岩肌が真っ白くなったの」


 片手に一匹ずつなまこをつかんだ貴子が三人のもとに走り寄り、和雄に狙いをさだめて、水を飛ばす。大仰にのけぞった和雄が貴子をつかまえる。


「うみういないね」


 貴子は岸壁にちらりと目を遣り、みるのは不可能なこととわかって、海鵜がみたいとごねる。ほんとうに関心があるのかないのか、「うみううみう」と鳥名を連呼する。とても小学三年生になったとは思えないと春子があきれる。


「貴子、渡りの鳥だからいまはいないの」


「やだ。うみうみたい」


 海鵜は十一月の末から十二月にかけてこの土地に飛来し、春になると去ってゆく鳥なのだと、永遠子は貴子に教えた。


「きこちゃん、また、冬か春に、おいで。いっしょにみよう」


「また来ればいいだろ」


 ふてくされてなまこを芝生にうっちゃろうとする貴子を和雄がたしなめ、潮溜まりに連れてゆこうとする。


「思ったより雲量があるなあ」


 永遠子は「雲量」ということばを和雄の口から知った。ひと降りあるかもしれないと和雄は手をかざし、空をながめた。


「鳶(とび)だ」と、貴子も和雄といっしょにうっすらと口をあけて空をみている。


「ああしていると親子にみえるわね」


 みあげる姿勢が同じだと、春子が永遠子に話しかける。しばらくして一面に雲がのし、ぽつぽつと雨が降りはじめた。和雄が、「春ちゃん、危ないから走るな」と制するが、春子は、「ぬれちゃうぬれちゃう」と陽気な声で、隣にいた永遠子の手をつなぐと、潮溜まりで遊びつづける貴子の手をとりにおうとつの激しいあらい岩場をかけった。車体の籠もった熱も夕立ぶくみの雲と風とですっかり冷やされていた。座席に腰をかけるなり、貴子は履いていた布靴をすぐに脱いで裸足になった。春子も裸足じゃないと運転しにくいと言っておなじように靴を脱ぐ。春子と貴子とそろいの布靴を永遠子も履いていた。カンバス地の簡素なつくりだった。夢のなかで履いているまあたらしい布靴も、二十五年経ってすっかり黄ばんでしまった。永遠子は、四〇歳になったいまでもその靴を実家の下駄箱にしまっている。


 

続きは本誌にてお楽しみ下さい。

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