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2011年1月17日月曜日

物作りについて

車を単に移動の手段や物を運ぶ道具としてお考えの人はお読みにならない方が良いと思います。

国産車贔屓の人たちには申し訳ないのですが、私はトヨタが作る60車種以上の車を観てその違いがまるで分かりません。みんな同じに見えるのですよ。

国産は壊れなくてよいといいます。確かに灼熱の砂漠に物として「レンジローバー」と「ランクル」を持っていく?と聞かれれば後者を選びます。

しかし、心に余裕があって(経済的にも)もう一台別の車があるとなれば迷わずレンジということになります。

では何故レンジがランクルとは違うのでしょうか?

それは無駄なところに拘っているからです。シートの質感、ハンドリング、サスペンション、そして運転していることを意識させる音・・・・・でも乗らなければ決して分からないのです。

日本の企業は、効率性の追求こそが合理的と考えその道を驀進したのです。

後輩が相談があるとメールが来ました。彼は真面目です。おそらく地道に彼のやっている事業も順調に進み、拠点としての引越しなどを考えているようです。嬉しい限りです。友人のよくなる話ほど嬉しいものはありませんから・・・

そんなクレバーな彼にプロとしてのアドヴァイスなどあろうはずもありませんが、ただ一つ私の経験から引越しするにしても何かを変えるときには、「拘りと無駄」を作ってほしいと思うのであります。

考えてみて下さい。無駄のない人生ほどつまらないものはないじゃないですか?

今思えば、エコノミーで8時間以上のフライトを経て毎年ヨーロッパに出掛けて、蚤の市で見つけた商品をトランクに詰め込んで重量制限をオーバーしながらも妻とやっていた輸入文具のお店も効率とは正反対にあるものでした。しかし、それらの記憶には輝かしい郷愁はあれども、後悔などありません。無駄こそ人生の輝かしい航跡なのです。

私の家だってこの馬鹿げた吹き抜けの非効率的なことこの上ありません。でもそのお陰でこのビックテーブルは演説台にもなり、パーティテーブルにもなった訳です。

もしかしたら無駄こそが次のキイワードなのかもしれません・・・・・・

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