747は高度を徐々に下げながらシラキュースの上空を通過していた。
このあたりはニューヨークにとっての分水嶺にあたる地域だとラジオで聞いたことがあった。
英語で分水嶺はwatershedという。山に落ちた雨水が峯のこちら側と反対側とでは別の場所に流れ込む。
ヨシヒコは北関東の地方都市で育った。ここでは川の水はすべて南へ流れて行く。
隣の信州に行った時に川の水が北へ向かって流れて行くのを見て、不思議な感覚を覚えた。不思議な感覚と言うより、ヨシヒコにとっての意心地の悪さだった。
ニューヨークには空港が3つある。ラガーディア、ニューアーク、そして今回ヨシヒコが降り立つジョン・F・ケネディ空港だ。
この空港は出来てから大分時間が立っている。荷物を吐き出すターンテーブルもどことなくぎこちなく古びた音を出していた。
ヨシヒコは機内に持ち込んだディパックを左肩に掛け直し、紺色のスーツケースをターンテーブルからもぎ取るようにして運び出した。
外は小雨が降っていた。
ヨシヒコは自らトランクにスーツケースを押しこみ、映画やドラマに出てくるイエローキャブに乗り込んだ。
その車はリンカーンの古いモデルだった。運転手はインド人だった。車内にはわずかに香辛料の匂いが漂っていた。
車は途中、渋滞に巻き込まれながらも順調にブルックリンブリッジを通過していった。
橋の袂には外見は古びているけれどもよくみるととても豪華な建物が建っていた。上階のペントハウスは開け放たれ、庭のオリーブとウイキョウが秋の日差しを受けながらそよいでいる。
車は南に進み、ヨシヒコが予約してあるホテルに止まった。
ホテルはニューヨークではとても有名なホテルで、ヨシヒコが航空券を予約する時に旅行会社に薦められたホテルだった。
ヨシヒコはタクシー代を払い、チップの額に不服そうな運転手を無視してロビーに進んでいった。
ホテルのロビーは緑色の大理石を壁や床に配した室礼で、人を圧倒するようだった。ヨシヒコはこういった様式をネオゴシック様式と言うのだと何かの本で読んだことを思い出した。
ロービーに予約の名前を告げると、背の高い男性が別の場所でチェックインするように指示された。
その場所はロビーの反対側にあり、バスや団体専用のチェックインカウンターだった。ヨシヒコはついた早々体よく、人種差別を受けたのだ。
しかし、ヨシヒコは英語で反駁する体力はなかった。長旅の疲れで、一刻も早く熱いシャワーを浴びてベッドにもぐりこみたい衝動にかられていたからだ。
部屋はタワーの上階に位置して、窓から建物の間にセントラルパークの緑がかろうじて見られる部屋だった。
ヨシヒコはこの部屋で350ドルは高いと思ったが、もともと今回の飛行機代も宿泊費も自分が出した訳ではなかったので、そのまま胸にしまいこんでしまった。
翌日、目が覚めるとヨシヒコは空腹に苛まれた。ヨシヒコは身繕いを早々に済ませサキソニーの紺色のジャケットを羽織り、ダイニングに降りて行った。
ホテルのダイニングは多くのビジネスマンと思しき人達が朝食を取っていた。
友人とわいわい話しながら賑やかに朝食を取る人達、一人静かに新聞を片手にコーヒーカップを口に運ぶ人たち・・・・・・・様々な人達で溢れかえっていた。
ヨシヒコは入口から一番離れた席に座り、メニューを見回した。
ヨシヒコは汐留のホテルで叔父に一度、エッグベネディクトなるものをご馳走になったことがあった。ヨシヒコ一人ではとても入れない高級ホテルだった。
そのときにエッグベネディクトはヨシヒコが今泊っているニューヨークのホテルが発祥地で、常連客で食欲のない人に供したのが始まりだと聞いたことがあった。
ヨシヒコはその料理とコーヒーを注文した。ヨシヒコは注文してから、食欲が無いわけでもなく、足らなかったらどうしようとふいに考えたが、ホテルの斜め前にあったコーシャフードの屋台の事が頭によぎり、注文はそのままにした。
2杯目のコーヒーを飲み始める頃に、その料理は運ばれてきた。
東京で食べたそれより2倍以上大きいそれは存在感を放っていた。
卵は半熟で、ソースの酸味が感じられる。何分、パンの大きさが違うのだ。
付け合わせのポテトの量も多く、ヨシヒコはそのひと皿で満腹になった。
はっきりいって味は東京で食べたそれの方が美味しかった。ヨシヒコは世界で一番美味しいものを食べたいなら、東京からでないことだと言っていた事を思い出して、一人で可笑しくなった。
ヨシヒコは3杯目のコーヒーを半分残し、席を立ち、脇に新聞を挟み日差しの長くなった秋のニューヨークを歩きだしていった。
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