以前、福沢諭吉論を読んでいて心にとめた言葉があった。この「惑溺」という言葉である。
辞書の意味は「あることに心奪われて、本心を失うこと」とあるが、福沢はそんなに単純な考えではなかったはずである。独立自尊を旨とする彼の考え方にはポプュリズムに同調する非科学的思想に対して、実証の大切さ、つまり科学的より所の大切さを説いていたのだ。
福島原発問題で世の論調を含め痛切に感じていたが、昨晩の元首相の会見も全く「惑溺」としかうつらない。
「惑溺」に関して池田信夫氏のブログに旨い引用を見つけたのでご紹介する。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51760376.html
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