今日偶然、立松和平氏に戴いた本が出てきた。
といっても氏が父のところにやってきたのは私の幼いころであり何の話をしたのか、父からの伝聞しかない。
立松氏は足尾銅山の鉱毒事件、そして日本初の公害訴訟を起こしたことでも有名な田中正造を調べていたようだ。
私の名前もこの翁の名の一文をもらったとも聞く。
父は汚泥として捨てられていた泥を利用してそれがなんとか製品化出来ないか考えていた。
研究所兼窯場は足尾にあった。そこに氏が訪ねてきた。
私たちは休みになると桐生から渡良瀬渓谷鉄道(旧 足尾線)で向かう。
「はらむこう」という無人駅で降りる。駅のホームの土管にはマムシやシマ蛇が住んでいた。
隣の家の用水路には雷魚が住んでいた。
いつだったか大きすぎる蛙を一飲みした魚の口に蛙の足が出ていたことがあった。
こんな原体験が私にはある。だからエコロジーという言葉の軽薄さが気に入らない。
渡良瀬川の水は綺麗に澄んでいたが魚はいなかった。
でもまだ生きています。私は・・・・
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