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2012年2月9日木曜日

文章になると面白い人


以下、フランス文学者でレビィナスの第一人者でもあり、先般まで神戸女学院で教鞭をとっておられた内田樹先生の著書「期間限定の思想」からの抜粋であります。

 古人は「官途につく」ということを「ユージュアリィ・サスペクッ」として、「世間の疑いのまなざし」に身をさらしつづけるような生き方を選ぶということを道破していた。

 「冠がずりおちても」「履が脱げても」我慢しなければいけない。たしかに、帽子がずり落ち、靴が脱げれば、さぞや本人の気分は悪かろう。悪かろうがそれを我慢する他ない。そこで「ふつうの人」のような反応をしたら、その瞬間回りから、「どろぼう」と追い回されるのが公人というものなのである。

 その意味では今回名前があがっている人々はことの真相が法廷で決着する以前にもちろん全員「お疲れさま」である。たとえ事務的に潔白であるとされたとしても、一度「ドロボウ!」と「言われたら」もう「おしまい」というのがここでのルールなのだから。
 
 「ドロボウ」であるかどうかではなく、「ドロボウと想定されるかどうか」で判定する、というのが公人の基準である。だから「訴状を見てないからコメントできない」とか、「法の裁きをもって進退を決する」とかいう者は、このルールがぜんぜん分かってないということである。

 それはボクシングの試合が終わったあとになっても、「私と彼とがどちらが本当の勝者であるか、どちらが先に死ぬか見きわめない限り結論がでない」と称して、墓場に行くまで敗北を認めないボクサーのようなものである。

内田 樹著「期間限定の思想 148頁抜粋」

私は公人の定義をし直すつもりで引用した訳ではありません。世の中には文章にすると大変面白い人と言うのが存在するのです。ルリボシカミキリで有名な福岡伸一氏も、とある雑誌の中で京都の三月書房のことを取り上げていましたが、この人も対談を聞くより、文章になったもの「動的均衡」「できそこないのおとこたち」「生物と無生物のあいだ」などの著作を文章で読む方が俄然楽しいのです。養老先生なんかもそうかもしれません。文章の旨い人に、本当憧れます。文章が旨いのはやはり天賦の才なのですから・・・・

そんな話をしていると横から息子が「本を書いているということはその時点でアカデミックを手放しているね」ときついお言葉です。確かに一理あります。でも、ねぇ、読んで楽しくなきゃ、つまらん読書でしょう。そんな偉そうな事を言った息子の枕元に平松洋子著「焼餃子と名画座」がポツンと置かれていたのでした・・・(笑)


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