Sパパからブログに書いていたリリースについて指摘を受けました。お恥ずかしや・・・そんなにタイソウなものではありません。
私が「リリース」を意識したのは大学の同期や仲の良かった先輩の死です。
結局、どのように生きてもあの世には何も持っていけないのです。持っていけるのは記憶だけ。
その記憶もエミール・ウングワレーの絵のように(死の数時間前の絵)混沌から無の世界へと変化していくのです。
そんな道理とは別に、生に執着し物に執着する人達が大勢います。ゼロか百の発想です。
こうした人たちにはシェアの理屈は理解できないでしょう。そして悲しい死を迎えます。
死の哲学なんて言う大仰なものではありません。いつ死んでも良いように生きたいという我儘です。
親が子に対する教育は贈与行為そのものです。見返りは求めないでしょう。子供は生きているだけでめっけものなのです。
シェアとは自分のものを人に与える一種の贈与行為です。余ったから与えるのとは違います。
原を七分目にして人に与えるのです。そうすることが健康に良いように、心にも良いものなのです。
先般、資産フライトという本を読みました。弊社の顧問弁護士の先生の推薦本ではありましたが、私にはどうして資産をそんなに増やしたいのか不思議でたまりません。いいじゃないですかそろそろで。
お金もそうです。払ってしまったものはサンクコストです。覆水盆に帰りません。
私の場合はリリースすることで、正の循環が生まれさらにもう一周して自分に帰ってくるような気がします。何故ならリリースする行為は物だけでなく精神的なものも他人に伝播させ共感させることのできる行為だからです。
レバレッジは声高に叫ぶものでも、経営の飛び道具でもありません。こうしたリリースをすることで一回り大きくなって帰ってくる波のようなものなのではないでしょうか。
閑話休題
昨日も電車の中で混雑しているにも関わらず足を組み、ひとり言のようにぶつぶつ言っている30代と思しき背広姿の大人や電車の中で携帯電話で話している営業マンのような人がいました。
私が電車が嫌いなのはこうした人達と一緒の空気を吸うことさえ嫌だからなのです。
足の悪い老人に席を譲る若い人を見て世の中まんざらでもないと思う反面、こうした大人たちが現存する日本はおかしな歪な国になっていくのでしょうか・・・・
やはりあと1年は電車に乗らなくていいかな・・・・・
魚は水を選ぶの例えです・・・・・
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