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2012年3月25日日曜日

R1グランプリと笑点

世の中ではR1グランプリやAKB48の総選挙のように出演する人が変わる仕掛けを好んでいるように見える。

一方、笑点は我が家の定番番組だが出演者はいつも同じ、定例のやりとりである。

政治の世界はどうであろう。自民党が政権を獲ろうが、民主党が獲ろうか結局後者なのである。

若手批評家で私が最も注目している人がいる。宇野常宥氏である。「リトルピープルの時代」という本を上梓した。


私が村上春樹氏をずごいと思うのは、氏のずばぬけた感性である。氏の「1Q84」に登場する「リトルピープル」はオーウェンが描いた「ビッグブラザー」の対局をなすものだからだ。それをこの世の中に感じとっている。

政治や宗教と言った思想や国家という大きな社会秩序はこのビッグブラザーによって映し出されていた。しかし、その投影する機械には対立という構図が必要だった。対立という構図が無くなった今、ひとつの正義はそれ自体存在しえないのだ。

だとすればリトルピープルに適した仕組みとは何であろうか。

国民参加型の政治とはいわばR1グランプリのように出演者を国民が交換できるようなゲーム感覚と宇野氏は言う。

氏は「日本の底力」とか「日本が駄目になる」「たちあがれ日本」などというスローガンはビッグブラザー的だと看破している。私もそう思う。確かに古臭い。

しかし、笑点を見て安心する我が家は古い政治体制の信奉者なのだろうか。そうではないであろう。

物語性からゲーム感覚に世の中が変性したとしても個人の中に物語性を回帰しえなかったら、個人はつぶれてしまうのではないだろうか・・・この点は氏と相対することになるが・・・・・・

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