40代と思しきサラリーマンと恰幅の良い中小企業の社長と思われる二人のある日の会話・・・・
40代のサラリーマンA氏
「社長は国産の物にこだわって持っておられると聞いたのですが、その鞄もそうですか」
社長B氏
「そうそうこれ銀座のTというカバン専門店にオーダーして作らせたもの。皮も国産に拘ったのだよ」
A氏
「なるほど丁寧な仕事ですね。つい先日新築されたお宅もそうですか?」
B氏
「国産の檜をふんだんに使った和風の住宅だよ。家具類もほとんど松本の銘木家具で合わせた。」
「もっとも若い頃より車だって国産しか乗った事がない。今乗っているのもそうだ。」
「外国製は頼りにならない。壊れても国産ならすぐ治る。それに費用だって安い」
B氏の携帯に自動車修理工場から電話が入った
修理工場
「社長の車なんですけど部品が手に入らないのです。あの部品タイの工場で作っているのでもそのタイの工場が水没して再会の見通しが立たないんです。もう少し待っていただけますか」
社長は顔を真っ赤にして下を向いたまま顔をあげることはなかった。ちなみにこの社長の妻は年齢が二周りも違うチリ人の妻だった事は伏せておく事にしましょう・・・・・
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これは一部脚色はしていますが実際の会話です。多かれ少なかれ、この頃の日本人は好きか嫌いかとすぐ白黒付けたがる方が多い。
世の中そんなに簡単に割り切れるものばかりじゃないのに、すぐに2項対立に持ち込もうとする。
原発事故後に東北の野菜は一切食べないという人が増えているらしい。そういう人は理屈じゃないのよね。科学的根拠なんてどうでもいいの、つまりは「正しい事」をしているということが大切な訳。
息子の高校の先生がオウム事件を含めたカルトの研究をしていた。
極端な宗教やカルトには知るには実はこの「正しき事」の動機づけが大切なのだそうな。
拘らないのも困るけど゛、拘り過ぎて科学的知見を忘れてしまうのも問題だ。
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