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2012年11月2日金曜日

1981年のゴーストライダー Ⅳ


洋一はウエットスーツに着替えると新しく買ったばかりのアイパのツインフィンのボードを抱えて砂浜に駆け出して行った。優子は洋一から足元に脱ぎ捨てられたビーチサンダルに直線的に視線をうつした。さっきまで降っていた雨はすっかりあがり、オフショアの風が優子の長い黒髪を撫でつけていた。波は綺麗に整えられ規則正しく左から右に崩れて行く。朝日を浴びたその表面は無数の小さな鱗のように光を反射していた。

砂はさっきまで降っていた雨のせいで固く締まっている。それでも歩くと優子のクリームイエローのフレアスカートに砂が舞い上がった。
 
優子は防波堤の隅に腰をおろし、持ってきた文庫本のページをめくった。文庫本は書店のカバーもなく、表紙には無数のしみがあった。
 
本はヘミングウェイの「海流の中の島々」だ。優子はこの本を数十回読んでいる。途中までの時もあれば、最後まで読む時もある。ただ、いつも最初からしか読まないのだ。途中から休んで読むということは優子の流儀に反するらしい。だから最初から読む。

優子にとってその本は特別だった。優子はいつも思うのだ。今日はどんなライオンの夢が見られるのかと。

文庫本を1/3くらい読み進むと洋一が海からあがってきた。洋一の髪はあまり濡れていない。

いつもなら真っ黒な洋一も今年ばかりは普通の人と同じ肌の色をしている。洋一はもってきたポリタンクから勢いよく水を掛けながらタッパを脱ぎ、Tシャツと短パンに素早く着替えた。

お腹が空いたという優子にせつかれるように、サーフボードを車の上のサーフラックに固定して、車のエンジンを掛けた。洋一の車は中古のベージュ色のフローリアンだ。ディーゼルエンジンなので暖まるまでマフラーから黒い煙が出る。それにコラムシフトと来ているので運転には多少の慣れが必要である。

洋一の車にはステッカーが貼ってある。ひとつは馴染みの都内のサーフショップのもの。しかしこれが中々の曲者で、ここK沼の様な比較的部外者にオープンな場所ならいいがS里の様なローカル色の強いところに行くとたちまち部外者扱いをされる。まあ、部外者のレッテルを自ら貼っているのだから仕方のないことなのだが。

もうひとつはFENのステッカーだ。ブルーで大きくFENと書かれ、文字を取り囲むように同じブルーの線が描かれている。このシールは洋一が2年生の時に赤坂のテレビ局のイヴェントでもらったステッカーだった。洋一はこのステッカーが気にいっていた。それを観ているだけでまだ行ったことのないウェストコーストの雰囲気がして好きだった。前に乗っていた車からこのステッカーは丁寧にはがされてフローリンアンに移植されたものだ。だからシールの四隅をセロテープで補強してある。

車は134号線を南下した。由比ヶ浜海岸はまだ海の家の残滓がたたずんでいる。車はトンネルを抜け逗子海岸を過ぎ、渚橋のたもとに最近オープンしたファミリーレストランに入った。平日なので駐車場は空いている。出来るだけ日陰になるように大きな樹木の近くにフローリアンを停車させた。遠くから見るそれは大きな犬が気の下に蹲っているようにも見えた。

洋一も優子もここのクラブハウスサンドが好物である。アヴォガドも入ってボリュームもあるしカリッと焼かれたパンが美味しい。さらにこの店ではブルーリボンビールが置いてある。赤と白のアメリカのビールは今更どこにでもあるし、味も色も薄すぎて好きではなかった。このブルーリボンビールはアメリカでは一般的に飲まれているらしい。いるらしいといってももっぱら労働者が好んで飲むごく普通のビールということだったが、二人にとってこのごく普通というところが一番好きな理由だった。
 
二人は戸外のテラスに席を取った。ここ逗子海岸は穏やかな海岸だ。となりの材木座海岸と比べても波は静かだ。だからサーファーの姿はない。代わって無数のウィンドサーファーが浮かんでいるが、どうやら今日は風がなく彼らも苦労しているようだ。

夏も終わったが秋と呼ぶにはまだ早いこの時期が洋一は好きだった。風は適度に湿度を含んでいて優しかった。秋あかねがパラソルにとまった。
 

 

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