Ⅴ
麗子の別荘は洋一が想像していた別荘ではなかった。敷地は広いものの建物はその姿を消し去りたいと思わせる程遠慮がちで周りの木々に寄り添うように建っていた。石の門柱に木製の表札がポツンと嵌めこまれ墨字で山潟と書かれていた。
麗子が玄関の呼び鈴を押すと同時に背のあまり高くない女性が現れた。洋一が麗子に「お母さん」と聞くと麗子は笑って「マキちゃん、祖父の代から働いてくれている人」と答えた。まもなく、その女性を追うようにしてフィラのブルゾンと紺色のニットのスポーツパンツの背の高い女性が現れた。その女性は麗子の母だった。麗子が事の顛末を母に伝えると母は洋一にお茶でも飲んでいってほしいと引きとめた。洋一は玄関先で失礼しようと思っていたが、麗子の母の半ば強引な引き止めと、それを援護するマキちゃんの手腕であっさりそれを諦めざる得なかった。
リビングに通された洋一は想像してインテリアと違っていたのに驚いた。洋一は西洋の貴族趣味のような華美に装飾されたインテリアが好きではなかった。この手の別荘や住宅に案内されるたびにまたここも同じかと思うほど、同質なものが多かったからだ。そこへ行くと麗子の別荘は違っていた。椅子の座面は布地だが木製のがっしりした椅子は直線を基調とした男性的なもので西洋的ではない。木製の脚は飴色に光っていた。テーブルは大きな杉の一枚板のテーブルであった。これもまた樹齢800年の縄文杉で作ったものだった。どちらも祖父が飛騨の木工所に特別に作らせたものでもう50年は経っている。照明もこれみよがしなシャンデリアではなかった。北欧の作家が作ったシンプルな照明が付けられていた。もっともこの別荘の照明は日本の照明とは根本的に違う。日本の住宅のそれはよくも悪くも部屋全体を明るくしてしまう。一方、アメリカでもヨーロッパでも照明は必要な時に必要な部分を照らすものである。ここの照明は彰かに後者を意識している。
麗子が大谷石で造られた暖炉の上のアイビーリーグの図書館に置いてあるような翡翠色をしたガラスのテーブルランプのスイッチを入れた。暖炉の上端から伸ばしたように大谷石の飾棚があった。その上には大きさの様々な写真立てが飾られていた。麗子はその一つをとって「これが祖父なの」と洋一に示した。写真の男性は燕尾服を着て、小脇に山高帽子を抱えていた。後ろに見えるのは古い車のようだったが車種までは分からなかった。
間もなくマキちゃんと母が同時に現れた。麗子の母は先程のスポーティな洋服から深い浅黄色のニットのアンサンブルに着替えていた。
綺麗なカップと同じ絵柄のポットには保温のためキルティングが掛けられていた。マキちゃんは手慣れた様子で、客人である洋一から順番にお茶を注ぎはじめた。
ポットには大倉陶園と書かれていた。洋一は紅茶だと思ってカップに顔を近づけた瞬間、その香りが今まで一度も体験した香りでないことが分かった。鼻腔を抜けるその香りは決して嫌な香りではない、嫌どころかどこか南国を思わせるようなエキゾチックさと最後に残る清涼感にノックアウトされた。そのことを素直に話すと、麗子の母は笑いながら、「そう、このお茶は私も好きなの。でも、家に来る人は全くの味音痴ばかり、一度も褒めてくれたことなんてないのよ。あなたは味が分かるのね。このお茶は中国の白茶というお茶に、緑茶とセカンドフラッシュという紅茶をブレンドしたものなの、わたしは午後の今くらいの時間に飲むことにしているの、いいでしょ」とゆっくりとした口調が、まわりに安心と穏やかさを伝えた。
話が進むにつれ、明日のゴルフの話になった。明日のそれは仲間内のもので、気兼ねしない集まりである事。麗子の母もゴルフをするので麗子が一人になってしまうこと。そして洋一がそのゴルフ倶楽部に興味があることなどが盛り込まれた会話が終わる頃には洋一は明日一緒に昼食をとる約束になっていた。
洋一は母の車で送ると言う申し出を丁寧に断り、すでに真っ暗になっていた初冬の軽井沢の小径をやや速足で歩いた。洋一は紺色のコートのフードを被りなおして、季節は知らぬ間に確実に先に進んだと感じた。
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