Ⅹ
優子は田園調布の駅前にいた。洋一のアパートではなく別の場所で待ち合わせをしたかったのだ。それにしても時間に厳格な洋一なのに待ち合わせの時間にすでに15分遅刻していた。前日も深夜まで残業をしていたから仕方ないと優子は思ったが、それとは別に洋一を促すような催促の電話をしないと何故か決めていた。
洋一が現れたのはそれから10分してからだった。洋一の車が優子の横にゴロゴロとディーゼルエンジンの音を鳴らしながら近づいてきた。洋一は優子に車に乗るように窓を開けて促したが、優子は洋一と目線を合わせずそのまま真っ直ぐ歩道を歩き続けていた。洋一はついに根負けして環八に出る直前で車のエンジンを切り、優子の前に両手を広げて立ちはだかった。
洋一は遅刻したことを優子に詫びたが、優子はそのことを怒っていたのではなかった。久しぶりのデートでしかも駅で折角待ち合わせをしたのに車でやってきた洋一の無神経さに怒っていた。それに洋一の格好はどうみても寝起きのそれである。霜降りのチャンピオンのスエットパンツに黄色いグランドジャンバーをひっかけた格好は洋一の部屋着そのままだ。
優子は洋一のジャンパー胸に張り付けられたイーグルのワッペンを何も言わず指差した。洋一は優子が何故指差しているのか分からず、何か上着についているのではないかとしきりにワッペンのあたりを触ったが結局それが何だったのか分からぬまま、運転席に戻りエンジンを掛けた。
車は環八を左折しそのまま走り続けた。休日の環八は特に混雑する。午後になると二子玉川にあるショッピングセンターに向かう車が幹線道路を埋め尽くす。洋一はその手前で左折し第三京浜に入った。洋一の車は三車線ある真ん中をもうこれ以上でないというエンジンの悲鳴とともに走り続けた。右や左から赤や黄色のスポーツカーが洋一の車を追い抜いていく。
誰かが洋一の車のことをシーラカンスだと言っていたが満更でもなかった。洋一はどうも最新のものにあまり興味が持てない。いくら性能や装備が充実していると言っても自分に似合わないと思っている。洋一は新しいものより使い古されてそれなりに時間を感じさせるものが好きだった。
洋一はカーラジオのチャンネルをFENにセットした。FENは洋一の部屋ではノイズが多くて聴こえない、第三京浜でも保土ヶ谷を過ぎないと旨く電波を拾うことが出来ないのだ。ラジオからノイズ混じりにレイパーカージュニアの歌うウーマンニーズラブが聞こえて来た。車は警察署を左折し134号線と直角に交わる道を真っ直ぐ走り続けた。窓からは馴染みのサーフショップに並べられた真新しい色とりどりのサーフボードが見える。優子はやっと洋一に向かって「暑い」と一言しゃべった。今日初めての会話だった。
0 件のコメント:
コメントを投稿