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2013年1月16日水曜日

AM3:50


AM 3:50

 美佐子の息子の学校は歩いて10分程の場所にある。幹線道路から一歩入ったところにあるその学校はとても静かで都内では珍しく土の広い校庭がある。このあたりは元々陸軍の練習所があった場所で、終戦後はその土地は分割され国の色々な施設に名前を変えた。近くには何の変哲もないグレーのコンクリートの建物が数多く存在する。それらはすべて官舎だった。この小学校にもこれらの官舎から通学する子供が多くいる。彼らの両親は有名大学を卒業し、国家公務員試験をパスしたいわゆる官僚と呼ばれる人種である。彼らの子供の多くは中学受験をして、別の中学に進む。美佐子の息子のクラスも3分の一の子供は中学受験をする。

 いじめが始まったのは今から半年前になる。美佐子は自分の息子に片親だと言う気持ちが強くならないように出来る限り、こざっぱりした綺麗な洋服を着せていた。若い子の間で流行っているようなダボダボのジーパンやトレーナーのようなストリートファッションはご法度だった。美佐子に言われた通りシャツはズボンの中にしまって、襟近くまでボタンをきちんと留めてその上にトレーナーを着ていた。ただズボンをベルトではなくサスペンダーで吊っていたのだった。

 体育の授業で着替える時だった。誰かがそのサスペンダーを指差して、へんなやつと言い始めた。その時は数人が冷やかし半分にそんな事を言っていたが、体育の授業が始まりみな授業に集中した。問題が起こったのは体育授業が終わって着替える時である。
Nと数人がサスペンダーを反対に付けて、息子が着替える時に困惑した顔を嘲笑したのだ。

 それ以来事あるごとにNと数人のいじめが始まった。ほんの些細なことをきっかけにいじめは陰湿さを増した。机の中にひどい言葉を書いた手紙と虫の死骸が入れられていたこともあった。下駄箱の靴に砂が入れられることもあった。息子もそんな現場を見て犯人を追い詰めようとしたが、まるで蜘蛛の子を散らすように要領よく逃げ去ってしまう。

 いじめの中心はNだった。彼は中学受験組だった。その中では成績はあまりぱっとしない方でなんとか辛うじて幾分名の通った私立中学の数校を目標にしていたが、塾で名前が張り出されるようなことはなかった。Nの両親は共働きだった。父親は大手製薬会社に勤務していたが休日は接待ゴルフで家には寝に帰るようなものだった。母親は父親と同じ大学の薬学部の後輩で卒業と同時に薬剤師の免許を取った。このところ色々な店で薬を扱うようになり、この資格はとても重宝がられ、週5日は家の近くの働きに出ていた。

 実を言うと美佐子の息子はNとほとんど接点がなかったのだ。遊んだこともなければ、何かのサークルで一緒だったと言うこともない。それなのに何故その暴力の矛先が向けられたのか誰もその理由を説明できなかった。ただ、いじめの標的がたまたま目の前にあったからだとしか言えない、それほどに無秩序で混沌とした。

 数人が駆け足で校門から出てきた。それからしばらくして美佐子の息子は下を向いたまま重い足取りで玄関から出てきた。周りには友達はいない。ひとりだった。浩一郎の息子は校門の横にそれをただ眺めて立っていた。サイレンの音が近づいては遠ざかっていった。



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