仕事をしていて思うのだが、つい我々は都合のよいところばかりついばんで仕事をしてしまう。
本当はその全てを経験しなければならないのに、合理的とか時間の性にして省略してしまう癖がある。
そんな事言ったって時間は有限なのだからといっているご仁がおられればそれはそれは残念な事である。
昨日、息子が大阪のアメリカ領事館に面接に行って来た。Jビザの取得である。終電で大阪に入り朝一で面接、午後には研究室に戻った。
同様の留学をするほとんどの人間がビザを取得しない。つまり観光のままに海外に出掛ける訳である。
ところが息子の渡航先のUCLAは原則的だ。確かに細かく要件を見てみると確かにビザの取得が必要となる。
そもそもビザについて考えたことがあるだろうか。私は今回初めて少し深く考えた。
代理人に依頼して取得してもらう事も出来るが、それじゃ文頭の意味がない。
ビザにもこんなに種類があったのかと驚くばかりである。政府や国としての渡航ビザ、アカデミックな渡航ビザ、さらに就労ビザ、移民ビザ・・などなど色々ある。
例えば息子の申請したJビザは就労も可能である。ただし、滞在期間を不法延長できないような仕組みがある。なるほど国が自国の利益のために国民に見えないダクトテープを施している訳である。
相手先の紙面はもちろん、教授の推薦状、どのような研究をしているかのレター、自分の学籍証明書、戸籍謄本の英訳、過去の全てのパスポート、残高証明書、基金の出資証明書などなど沢山の書類が必要となる。
そして何より副領事と面談である。それまでは日本語の面談だったのが、息子の番になると副領事にバトンタッチされ英語に切り替えられたようだ。
相手だって人の子、興味が湧けば力が入る。息子は英語で心臓の血管形成のシステムについての研究について説明し、相手に大いに共感してもらえたようである。
これこそが大切だと思うのです。研究もビジネスも相手があって初めて成功する。そして成功の前には多くの人を共感させる力が必要となるからです。
玉石混交であってもいつも玉ばかり探そうとするのではなく、河原の石コロもたまには手にとってみるのも人生にとって必要な事だと思うのである。
老いたら子に従え・・・・確かに一理ある・・・・
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