風立ちぬを観てきました。私は映画の評論家でもないので個人的なジブリファンとしての感想であることをまずご容赦ください。
私はスタジオジブリの作品はほとんど観てきました。ところがこの作品は他の作品と少し違うなと感じました。まず最初に感じたのは観客の年齢層です。夏休みも終わった平日ということもあるのでしょうが、家族連れ、特に子供づれが皆無でした。私たちぐらいの年齢のカップルかひとりで観ている人がほとんどで若い人がいないのです。
題名の風立ちぬはポール・ヴァレリーの「海辺の墓地」の中に出てくる詩を堀辰雄が訳したことで有名な言葉ですが、映画の内容についてはほとんどその援用で、主人公がゼロ戦の生みの親で知られる堀越二郎に設定していることぐらいなのです。でもエンディングには原作、脚本、監督が宮崎駿とありました。私としては少し拍子抜けした感じが歪めませんでした。
映画と言うのは二つに分かれます。最近はやりの映画は視聴者の全く知らない未知の世界を映像を通して体験させるものが多く、共感と言うより、知りたいという興味が先立ち観客を別次元の世界に誘います。
一方、観る者の体験の残像と重なり合わせて、もう一度過去を振りかえらせる映画というものがあります。例えば戦国時代を題材にした映画は私達は原体験していない訳です。例え教科書や歴史本んで知っていてもそれは体験ではありません。ところが今回のような大正から昭和に掛けた時代のものは体験の残像と重なるものがあります。そうした映画の場合、どれだけその残像を持っているのかということが視聴者の満足感につながる訳ですが、観客の様子を見ていると、特に航空機に詳しくない女性や当時のサナトリウムを知らない人にとって少し退屈だったような気がします。
昭和30年くらいまでは日本には結核の特効薬である、ストレプトマイシンはまだ普及していませんでした。映画の中では原作に忠実に富士見療養所とありましたが、私がまだもの心つく前に叔父は榛名山近くのサナトリウムで亡くなりました。私はうろ覚えながら叔父が施設に向かった日の事を覚えています。叔父は母に決して私を連れて来てはいけないと言っていたようです。あの頃は天地療法といって、真冬でも戸外で新鮮な空気を吸うことが良いとされ、映画のようなみのシーンが登場した訳です。
一方、飛行機についてはさらに専門的になります。ドイツのユンカースという飛行機は当時まだ珍しかったジュラルミンを用いた飛行機でした。ジュラルミンの強度を上げるためにあの独特な縞模様があるのですが、一方では航空機の宿命である軽量化には貢献できませんでした。そうした当時の状況や、堀越二郎が作った試作機が本当はゆるやかなガルウィング形状だったこと、実際のゼロ戦は直線翼だったことなどを知っていれば、この映像を観てなるほどと感心出来たでしょうが、そうでなければその違いには気づかなかったのではないでしょうか。
映画の中で軽井沢が出てきます。碓氷峠の高架橋、赤い屋根のホテル、泉湧く森の中、外人がむしゃむしゃとクレソンを食べる、こんなシーンも軽井沢を知らなければ面白くありません。
映画全体としてはもう日本になくなってしまった「あの時」を表現したかったのだと思います。映画の中で二郎が「どうして亀の時間じゃいけないの」と言うシーンが象徴的なように、日本は1945年で爆発して新しい時間になったのです。だから当時のような時間はもう存在しないということになります。奇しくもヴァレリーと同年にマルセル・プルーストが生誕しています。本映画の言いたかったのはまさに「失われた時間を求めて」ではなかったでしょうか。
しかし、私は思います。もし私の祖母が生きていてこの映画を観たら何と言うでしょう。恐らく観たくないというのではないかと思います。祖母たちにとってあの時代に戻る事はないのです。何故なら彼女達自身が今の時代を生きることを選んだのですから。そこが私と宮崎監督の一番の相違点なのかもしれませんね。だからまだ引退は出来ないのです・・・・
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