南アフリカ産のシャルドネと鶏肉のローズマリーにんにく蒸し(家にあるローズマリーと皮付きのにんにくを鶏肉と一緒にただフライパンに放り込んでおくだけ)の夕食を終え、息子が油だらけの手をチャチャットと洗い、おもむろにピアノを弾き始めました。いつもの光景です。私のキースジャレットのリクエストは無視して、曲はアメージンク・グレースです。その後の我が家のキツイ会話。
息子 お母さん「アメージング・グレース」ってどういう意味?
母 「アメージングは驚く、びっくりする」「グレースは荘厳なとか・・」
息子 「この場合のアメージングは形容詞的強い意味を持たなくて、それよりグーレースはこの場合、 (神よりの)恩寵と約すことに決まっているんだよ。こんなことも知らないの?」
母 シ・ラ・ナ・カ・ッ・タ。。。。。
父 トマス・アクゥイナスとともにスコラ学派で神学を学んだ私としてはこのグレースの意味は知っていたけど、アメージングには形容詞的意味があると思っていたので、心の中で(回って来なくて良かった。ホッ)
しかしながら、その息子も毎晩の研究整理と週末の部活の疲れで私の布団でスヤスヤと眠ってしまいました。セプも布団と布団の間でスヤスヤ、さくらもスヤスヤとお眠りモード。そう、この子達を見ていると、こうしていられる時間が私の恩寵なのかなと思います。そう何も要りません。
「寵」という感じが何故大切な意味を持つかというと、龍が屋根のある家にしまわれているからです。
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