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2011年3月7日月曜日

視座 リダイレクション  牡蠣フライの自分史

多かれ少なかれ年齢の違いはあれど私たちは過去の経験によって各人それぞれの思考性向をもち、やっかいなことに中々変更は出来ないものです。

村上春樹氏の小説が分からないという人はこの傾向が強く、いってみればしっかりとした自己を持っている人が多いようです。

村上氏は小説家とは多くを観察し、わずかしか判断を下さないことを生業とする人と言っています。

そして自己顕示のための小説や読書に判断を押し付ける小説はつまらないものが多いとも言っています。

多くの読者が村上氏の小説に共感するのは氏が書き続ける詳細な観察が事象・事物と自分自身との間に存在する距離や方向をデータとして積み重ねていく、そのことが氏の言う「仮説」であり、静かに眠り続ける猫であり、読者にそれぞれの物語を作る重要な要素です。その意味で徹底的にフィクションにこだわるとも。

氏が就職活動中に原稿用紙4枚に自分史を書けと言われた学生が氏に手紙をよこしたという件がありました。とても自分史を4枚では書けない。しかし、牡蠣フライに関してならできるのではと・・・

視座の転換です。牡蠣フライは自分という自己を表現する道具なのです。氏は易々とそして自己の内面性を際立たせた文章をその後に載せています。

我々に必要なことはまさに自己と他者との関係性を考察することです。エマニュエル・レビィナスがそうしたように唯一の自己発現の方法なのです。

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