宮古に住んでいる姉と義父は連絡が取れません。過去の津波の経験で高台に居を移したとのことですが、今回の津波には抗えなかったようです。心配です。
そして石巻、祖母が満州から命からがら引き揚げた時快く迎えてくれた祖母の姉の実家のあるところです。実家は旅館や仕出し弁当、銭湯まで手掛けていました。私も幼いころ行った記憶があります。祖母の姉には一度だけ新入社員の薄給の中、稲菊の天麩羅をごちそう(とはいってもランチです)したことがあります。この惨状を天国からどのように見ているのでしょう。残念です。
そしてもう一か所、昨年も松島に行って現地で食べた牡蠣のお店です。ここ数年来ここから送ってもらっていた「牡蠣 こうは」さんです。何とか生き延びていてほしいと思います。
再建したら真っ先に購入します。それが私たちに出来る精一杯のことです。何とか何とか無事でいて欲しいものです。
他人事ではありません。生き延びた我々はこの人たちに矜事を持って生きていることを見せなければなりません。
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