スティグレール氏に触発された訳ではありませんが、我々は如何に偶有に支配されているか気づかされます。そんなときこうしておいたほうが良いと思ってやったことが、逆に効果を薄めたり、結果を悪くしたりすることがあります。では何もしないことが一番?いやそうではありません。それではセレンディピティは掴めません。偶有を諦念するのです。
エコノミックに連邦裁判所が特許について面白い判決を出したと記載されていました。
1998年のハブ&スポークス特許に基づきビジネス特許を容認拡大してきた風潮が、逆の方向に流れだしたというものです。そもそも共和党=肯定拡大派、民主党=否定縮小派だったので当然と言えば当然なのですが・・・・・・・
つまりここで言いたいのは、この特許は一部の薬品や製造業において有効な場合もあったのですが、変化のスピードが格段に違う次元にはいった今(情報化社会)もはや特許は自らをまもるべき手段ではなく、並列会話的に情報のやりとりを阻害する要因にもなるということなのです。
ここが大切なところです。コンピューターや先端産業はピラミッド型構造ではなく、並列的構造で開発されているのです。ここを注視していかないと日本も大変なことになります。
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