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2010年3月25日木曜日

ダメなものをダメなものとしてそのまま受け入れる

人間はダメなところもあればいいところもある。そんな思いです。私なんかダメなところ100に対して良いところは1位ですからひどんもんですけど人間は多かれ少なかれそんなもんです。

息子が幼かった頃、私の幼年期のようにバスケットやスキー、サーフィンと色々なスポーツをやらせたかったものです。しかし、これが旨く行きませんでした。彼は嫌がらず一緒に公園に行き色々とやってみるのですが、本当に驚くほど「ウンチ=運動オンチ」なんです。
キャッチボールでは顔面で受けるし、逆上がりでは頭から落ちるし、些細なことでも命がけなんです。

結局彼と私は違うという結論に達し、彼の思いのままにすすめました。彼の幼いころは本の虫で、私がそっと置いておく本を片っぱしから読んでいました。これも彼流の運動が出来ないことへの反駁だったのかもしれません。

息子のことを良く勉強は出来るねと友達から言われます。でもその分同じくらい運動ができません。運動が嫌いです。でも良いんです。彼は彼、私は私です。所詮、墓に入るときは一人です(どこかのセクト宗教のように集団死以外は)

そう考えると、「ダメのものはダメなものとしてそのまま受け入れる」ことが如何に大切かを思います。

有名な格言です。「時が過ぎるのではなく、人間が変わっていく」のだと。そうかもしれません。

昨日も息子の部屋の書架から本を引っ張り出し読ませてもらっています。頸椎管の構造と神経支配について解剖図で私なり考察しました。なるほど左手のしびれもうなづけます。

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