名作というのは色々な楽しみ方があります。森鴎外のドイツ3部作といわれる「舞姫」「うたかたの記」「文づかひ」を初めて読んだの中学生でした。漢語表現が多く堅苦しくて少しも面白いと感じなかったものです。
次に読んだのは大学1年生の頃でした。今度は鴎外の独逸日記を読んでからの再読です。
すると今までただ堅苦しくしか感じなかった鴎外の文章が鴎外の目を通して当時のベルリンの様子とともに鮮明に見えてきたのです。これが2番目の読書です。
子供も授かり家族を養いながら、小堀桂一郎氏の著した「若き日の鴎外」を読んでさらに鴎外の作品を再再読しました。するとどうでしょう。鴎外の文章は堅苦しいのではなく、細やかで完成されており、ロマン主義というより、耽美主義的文章だと気づくのです。
さらに一歩踏み込んで、鴎外が何故あのような文章を書けたのかと言う謎が当時の陸軍軍医としての職位や交友を通してのものだったと分かるのでした。ここまでくると鴎外と古典、源氏物語の夕顔の真白き顔と舞姫のそれが重なるのです。もちろん近代文学としての表現方法の差はあります。
名作とは深い広がりを持つものなのです。読者の力量によりいつも違う姿を持ちことの出来るものこそ名作というのにふさわしいのかもしれません。
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