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2011年1月12日水曜日

アレクシス・カレル Alexis Carrel

ノーベル賞を受賞した人をすべて賞賛するつもりなどありませんが、彼は血管縫合の新しい方法を開発し、移植および胸部外科のパイオニアになった人です。

のちにカレル=デーキン法という消毒法を開発し、抗生物質の開発により多くの命を救ったことによりレジォンドヌール勲章を授与されたのですが、晩年はナチ崇拝者のレッテルをはられ71歳で逝去しました。



その彼の著書に「人間=この未知なるもの」というがあります。これは選択的な指導階層を確保することが、弱者を含む社会全体に貢献するといった内容のものです。当時のナチが政策としていた優生学とも強く結びついているものでした。彼は社会的弱者を過保護にはを容認せず、精神薄弱者・犯罪者を生み出す元凶として社会組織の巨大化と画一化を挙げ、徒な大衆化は却って指導者たるべき人物の発達を阻害すると主張したのです。まあナチ崇拝者と捉えられても仕方ありますまい。

しかし、その中に彼は人間の不思議さを合理的かつ科学的に実証できないものがあると記しているのです。奇跡は現存し、祈りもまた同一なのです。別の書物の中でも理由は分からないものの一つにルルドの泉をあげています。

つまり私が評価したい部分は自分にとって理解しがたいものがあっても否定するのではなく、自明の理とは何ぞやと言うところから始めなければならないということです。この点は医学を志す息子にも強く言っています。

大学時代に図書館で借りて一カ月掛けて読んだ本がパスカルの「パンセ」です。本を返しに行く途中、有栖川公園で池の鯉を見ながら「考える葦」の本質とはと青い考えを巡らしていたのが昨日のようです。あのときからあれだけ嫌いだった数学の違う一面が見えたのでした。哲学も数学も物理学も真理を追究するという意味ではそのアプローチと事象が違うだけで本質は同位なのかもと思ったのであります・・・・・

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