このブログを検索

2011年1月12日水曜日

SNS孝 学校なるもの

自分が分からないからこれもダメと否定するつもりはないのです。ただ、思ったことを書いて見まする。

ソーシャルネットワークサービス=SNSとは一種の価値共同体といった感じだと思います。学生の頃、クラスや学校の中で名前や住所は誰もが共有する情報でした。それと同様に感じられます。

学校というのは時間の流れの中でスタートとピリオドがあります。たとえ記録が残っても過去の残骸と化すだけです。一方、SNSはどうでしょう。ピリオドがないけれど自由に脱退、退会することは可能だと書いてあります。しかし、情報はそうでしょうか。様々な人種が参加している以上、情報の残滓が脈々と繋がり個人の情報漏洩、犯罪へと繋がらないのでしょうか??

さらに価値の共有といっても変位する価値観は相手と同一体ではありません。ある部分のみが共有されるのであって同一ではありません。時間と共にこの価値さえ形を変えるのです。それをSNSという並列的社会にあてはめることはかなりの危険を孕んでいるような気がしてなりません。

私にはこのSNSの広まりはもういちど「学校なるもの」を追体験したいと言う原初的欲求つまりは若年層の幼稚化と映っているのです。学校や社会が制度として機能していない以上、人間の脳の可塑化と同じように、知らない部分からこれらを補ってサポートする構造が誕生することもあります。

バカなことを言うなというご批判御尤もです。何せ分からないのですから、しかし、どうもこの気持ち悪さが消えないのです・・・・

0 件のコメント: