小学校のとき、父親の職業欄に窯業と書くのが嫌だった。
窯業というのはもっと大きくて、設備を備えた工場で従業員も沢山いるイメージだったからである。
父親のそれは小さな工場(コウバ)と窯を1機有していたたけの質素なものだった。
父親とは中学のころから疎遠になり、ほとんど口も聞かなくなった。
当然、焼き物と聞くだけで、悪寒が走るほど毛嫌いしていた。
しかし、50歳を過ぎ、今では大阪の東洋陶磁美術館にいって安宅コレクションの全容を見たり、京都の落美術館にいって曰くのある楽茶碗を観るなどしている。
父の焼き物は数点しか残っていない、この茶碗もそのひとつ。結婚したての頃、妻がこの茶碗に肉じゃがをもって出した時には大笑いしてしまった。
そんな思い出の茶碗でもある。
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