坪内逍遥は小説神髄の中でまず大切なのは人情を描くことと言っています。
昨日もヘミングウェイの「老人と海」を読んでいました。妻に言わせると「そのまんまやん」とは失礼な!!
ヘミングウェイが河から大海に遭遇した心のはやりその後の海に抱かれながら描く小説が、彼の人生からほとばしる何かであったことを実感していたからです。
小説家たるもの物語と自分を一緒にしてはいけないという評論家もいますが、直接的ではなくてもその作品に小説家の人生が垣間見れることはいけないことなのでしょうか。
私は19歳のときに島田清次郎の「地上」という小説を読み、私には全く理解出ない世の中の不条理と鬱屈にお手上げでした。
そして30歳を過ぎて読み返してみると、この小説が島清の自らの境遇の中で培った社会に対する穿った物差しに他ならず、誰をも信頼しない、いわばルサンチマンの投影にほかならぬ作品だったと感じることが出来たからです。
彼はこの作品以外にヒットしたとは言い難い、栄光とは無縁の生涯でしたが、この「地上」は傑作と呼べるのではないでしょうか・・
物を書くということは少なからず自分の人生をさらけ出すということです。
ブログのこんな文章でも同じかも知れません・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿