毎年バカンスにこの海岸を訪れていた男はいつものように本をたんまりとしたためプールサイドに席をとった。
今日携えた本は日本ではFLライトと同時期に活躍した、Aレーモンドの建築詳細という本と、パリのシェイクスピア&カンパニィ書店という実在した文学の伝記的書店主の本、それにイタリア料理の分厚いレシピ本だった。
数日続いている晴天が今日も空をおおい、入道雲が遠くで立ち上がっている。近くでカモメが風に乗って飛んでいく。かもめは鳶に比べて水平線の近くの低い位置を飛ぶからすぐわかる。
上昇気流をつかむのは苦手らしい。
近くではその手のひとたちとすぐ分かる黒いラッシュガードの集団がお揃いで奇声を上げて真夏のプールを楽しんでいる。ラッシュガードにうっすら見える刺青は愛嬌だ。
ごく普通の若い男の子とは何ら変らない。いつものにぎやかなプールが帰ってきたようだ。これはこれで楽しい。
男は日焼けして火照った体を鎮めるためにプールにゆっくりと入り、数回水中を掻いて顔を上げると、目の前に子供の浮き輪が風に飛ばされて見えた。
男は浮き輪をつかみ、子供の母親と思しき女性に渡した。
女性はさっきのまで早口のフランス語で子供に何か言っていたのに、驚くほど流暢な日本語で「ドウモアリガトウゴザイマス」とお礼を述べた。
彼女はここ数日間このプールでよく目にしたスタイルの良い女性だった。
真っ黒に日焼けしたプールの監視員と思しき男の子が、女性と私に向かって話し始めた。
女性の名はソフィーと言い、4才になる女の子がいた。旦那は日本人らしく今日は仕事のようだ。
彼女は如何にフランスがつまらない国で、日本のほうが良いのか訴えていた。
そんな彼女なのに娘をどこの小学校に入れるのか悩んでいた。
私にはその矛盾した行動に彼女の発したAncien régimeという言葉で理解した。
すぐにシンガポールに赴任しなければいけないらしい。
つまり日本は経由地なのだ。彼女の留まる国ではない。彼女は旅人なのだ。
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水平線に向かって2艘のヨットが進んでいる。2艘のヨットが互いに相手を意識しながら並行して曳航を描いていたと書くのか、2艘のヨットが互いに抜き抜かれつしながら曳航を描いていたのか、私には分からない。つまりは作者の利得とはこのことか。
漠然とした風景も、あそこに灯台があるとか、あそこに神社があるという「意識」によって意味を持つ。言葉とはそういうもの。
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