キャンパスの銀杏は色づきを強め、空の高いところに鱗雲が浮かんでいた。
ヨシヒコはマーケティングの同好会に所属していた。そのきっかけは偶然だったが、当時の顧問の先生のゼミが学生に人気のゼミで、同好会に入るとそのゼミに入りやすくなるというもっともらしい噂に惹かれたのもあったかもしれない。
ヨシヒコはコトラーを愛読していた。物を売るという単純そうに見える行為が、ひとたびマーケティングの魔法にかかると、様々な人間の欲求が見えてくる。
ヨシヒコは先輩が言ったロイヤルティーについての一言が気に行っていた。最高のロイヤルティとは個人が自分の妻や両親、親戚にその企業や商品を薦められるかというものだった。ヨシヒコは絶えずそのことを反芻していた。
ヨシヒコは1.2年生のときの怠慢を払拭するべく学校に真面目に通うようになっていた。もっともその理由は3年より急遽教職の科目を取り始めたことが大きかった。
授業は経済や法学とは全く関係のない心理学や憲法も学ばなければならなかったが、その必要性を無視して唯一選択した一般教養の授業か楽しみだった。
当時ベストセラーにもなった「タテ社会の*****」の著者ことN女史のご主人の講義だった。ヨシヒコは妻の名前を前面に押し出し、学生を集めていたその先生についてシニカルに観察したいと密かに思っていたのだ。
人間と言うものは面白いと思った。そうやって学生を集めてはいるものの妻とは違う個を主張したがっている。絶えず妻を意識しながらも、その呪詛から逃れようと葛藤している様が人間らしく思えたこともある。
ヨシヒコは一日2食の生活を送っていた。授業料は育英会の奨学金で賄っていたが、生活は苦しかった。市の奨学金も受けていたが、東京の高い家賃と食費に消えていた。
ヨシヒコは乗り継ぎの新宿駅の地下のコンコースにあるカレーショップで朝食兼昼食を済ませる毎日だった。月曜日はコロッケカレー、火曜日は玉子カレー、水曜日はコロッケ、木曜日は玉子この連続だった。朝カレーなる宣伝も頃ごろ耳にするが、20年以上前からヨシヒコは朝カレーだった。
大学の食堂は2か所あり、ひとつは明るく綺麗なカフェテラス、もうひとつは古い校舎のある食堂だった。この大学には生協は入っておらず、どちらもヨシヒコの財布には重荷だった。
その食堂では平日の3時過ぎになると、現金のみで販売してくれるスペシャルメニューがあった。
余った牛肉を利用したステーキ定食だった。確か620円だった。ひと月に1回はヨシヒコはこのメニューを注文していた。
ヨシヒコは色々なアルバイトを経験した。時給のよい駅前のティシュ配り、家庭教師、旅行の添乗員など時間が許せば昼夜区別なく働いていた。ディレクターと知り合いの友人がテレビ局の仕事も紹介してくれた。
テレビと言うのは虚構の商売なんだよとその友人はヨシヒコに教えてくれた。
ヨシヒコはあるクイズ番組に芸能人と一緒に出演することになった。ヨシヒコとほぼ同年代のその女性はヨシヒコよりずっと大人っぽく思えた。彼女は確かレコードも出していたがあまりヒットしたようではなかったが、そのタイトル宜しく長くスリットの入った紫のチャイナドレスを着ていた。
テレビ局の打ち合わせ室には、ファ*ファ*大佐ことO氏も座っていた。スタッフからクイズの答えを2.3問教えてもらっていたが、結局、本番では忘れてしまって答えられなかった。
司会はキ*キ*の愛称で知られるベテラン俳優。この人とはこのあと数回会うことになるがそれは叉のお話。
クイズは一進一退で進んでいたが、最後の問題でカレーの発祥国を聞かれた。他の回答者はインドやパキスタン、中国などと答えていた。ヨシヒコはとっさに「イギリス」と答えてしまった。実は答えてから、答えてはいけないことに気づいた。芸能人組みが優勝するシナリオはなかったのだ。テレビ局のスタッフから冷ややかな目線を受けながらも、本番の番組はそのまま進行した。場は一気に白けていた。
賞金は10万円とスクーター、テーブルセット、沖縄旅行、真珠のペンダントだった。その芸能人は旅行は忙しくていけないからいらないけど、後は全部折半と言ってきた。ヨシヒコはのその芸能人の厚顔で横暴な笑い顔を見て背筋が寒くなった。
ヨシヒコはその晩応援に来てくれた友達に夕食をご馳走して、賞金を使いきった。持っていたくなかったからだ。
賞金は新宿つな八の天麩羅に化けた。
それ以来、テレビ局のバイトの仕事は来なくなった。
窓の外には西日に照らされた2号館が写真のように映り込んでいた。古いレンガのその校舎は冬は寒く、暖房も旧式のものだったが、ヨシヒコはその校舎が一番好きだった。
学園祭が終われば、クラブ活動も引退だ。特に何かをやり遂げたという充実感は無かったが、これでもう終わりなんだと思うとメランコリックな気持ちになった。
学園祭のスピーカーから竹内マリアのグッバイユニパーシーティが流れていた。
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