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2011年9月28日水曜日

キャベツの千切り

ヨシコは百貨店の4階にある家庭雑貨売り場のショーケースの中の包丁をまじまじと眺めていた。

傍から見ると、何か間違いでも起こす危ない女に視られているかもしれない、そんな真剣な眼差しだった。

ヨシコは昨晩、会社からの帰り道を最寄りの駅に着いてからいつもと違うルートで帰宅した。

駅前の小道を真っすぐに歩けば7.8分で着くのだが、その日は家から外れた商店街を歩いてみたかったのだ。

ヨシコは外食は滅多にしない、ご飯はまとめて炊いて、小さな容器に小分けにして冷凍しておく。

これなら、いつでも3.4分電子レンジで温めれば、あつあつのご飯が食べられる。

以前はテレビで宣伝しているサ**のご飯を時々買っていたが、値段も高いがそれ以上に出来あがったときのあの一瞬鼻をつく匂いを感じてからは食べられなくなっていた。

ヨシコは料理をすることが嫌いではなかった。いつもは時間が無いので手の込んだ料理は作らないが、味噌汁は煮干しで出汁をとり、味噌は沸騰させないよう、野菜は煮込み過ぎないというおばあちゃんの教えを守っていた。

ヨシコはその晩、珍しく外食をした。

ヨシコが外食をしないのは、巷で言われている「おひとりさま」という言葉に抵抗を感じているからでもなかったが、折角入った店がヨシコの心を満たしてくれることが少なかったからかもしれない。

その晩はヨシコの家の西にある商店街の外れの定食屋に入った。

店の前にはショーケースが置かれていた。ショーケースの中身はいくぶん黄ばんだ料理の見本があった。フォークが空中でナポリタンの麺を掬っている形がシュールだった。

店はこじんまりしていて、10人も入れば満席だった。

カウンターの上には小さな黒板があり、今日のおすすめのメニューが何回か消されまた書かれていた。

ヨシコはミックスフライ定食を注文した。メニューにはチキン、ハムカツ、白身魚とあった。

サーモンのフライが入っている店が多いのに、黒板の白身魚に興味を持った。

店の奥では店主と思しき初老の男性がコックコートを着て下準備をしている。

ホールではふっくらした背の低い女性がお客が席に着くたびに、コップに注がれた水と紙ナプキンに包まれたフォークとナイフをテーブルにセットしていた。

程なくするとスープが運ばれてきた。真ん中にパセリがとんと飾ってあるシンプルなコンソメスープだ。脂はほとんど浮いておらずマグカップの底の文字が見えるほど澄み切っている。スープはこうじゃなきればいけないと思う。

スープはあくまで脇役だ。主役の邪魔をしてはいけない。

フライヤーの中で白い煙とともにじゅーっっと香ばしい音が聞こえてくる。同時にトントン、トントントンというキャベツを切る軽快な音が聞こえてきた。

洋食の専門店でも面倒なキャベツはまとめて切っておくことが多いのに、この店はお客の顔を見てから切り始めたのだ。

それと同時にヨシコはそのキャベツを切る音が懐かしく、自分のそれとは異なっていることに気づいた。

ヨシコは錆びないからといってステンレスの包丁に、プラスチックのまな板を使っていた。

プラスチックのまな板は包丁がその面に届くと、甲高い声を上げる。

今聞いている音とはあきらかに違う。

店主は大きな木のまな板の上でキャベツを切っていた。包丁は鉄の包丁で洋包丁とは違う四角い包丁を使っていた。

運ばれてきた皿には熱々のフライが大盛りのキャベツに乗せられている。

キャベツの切り口はみずみずしく、フライと交互に口に入れるとフライの脂っぽさを旨く中和してなんとも言えない味わいだった。

白身魚はオヒョウだった。英語ではハリバットという。ヨシコは昔彼と観た映画のワンシーンを思いだした。その場面は禁漁の場所で小さな魚を釣りあげた老人がこれはオヒョウだと髭面の男に言うと、その男が魚のサイズを馬鹿にしてこれがオヒョウかと嘲笑する場面だった。

ヨシコは最後に残ったキャベツにウスターソースをほんの少しかけてまた口に運んだ。

ヨシコは満足だった。私のためにキャベツを切ってくれているという行為が嬉しかった。何か大切にされたような気がした。

店を出てもヨシコの頭はあのキャベツを切る音で一杯だった。

ヨシコが幼い頃、ヨシコの母は働いていた。だから、夕食はおばあちゃんが作った。

ヨシコが炬燵に入って宿題をしていると、背の低い猫背のおばあちゃんは後ろ向きで料理を作っていた。

そのとき包丁とまな板はトントントン、トントントンとあの食堂と同じ音がしていた。

おばあちゃんが使っていたのは、刃先の丸くなった鉄の包丁だった。そしてまな板は銀杏の木だった。銀杏の木は抗菌効果もあり、まな板に最適なんだとおばあちゃんは教えてくれた。

ヨシコの頭の中には、おばあちゃんと同じように鉄の包丁でトントントン、トントントントンと軽快な音を鳴らしながら料理をしている自分の姿がはっきり映っていた。





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