我が社のA女史が高校時代の親友からフィアンセを紹介されたのだそうだ。相手は40半ばの男性だったらしい。しかし、若づくりした洋服や茶髪の髪はまだしも、女史の実家の鎌倉山の話に及ぶと、彼が「有名な雷亭が売りに出されて俺のところにも話がきた」と女史に言ったのだそうだ。
当然、女史は驚きその不可解な言動、すなわちその年齢にして口にする軽薄な言葉に辟易としてその場を辞したようである。
彼に会ったことはないので詳細は推し量れないが、このような言動は、少し前に読んだこの本に書かれている「ドーダ論」に似ている。
鹿島茂氏の著作はあまり好きではないが、この本は面白かった。
幕末から明治政府に変遷する歴史の中でも説明しようとしても説明しきれないものがある。例えば何故西郷が西南戦争に担ぎ出され敗戦の将となったのかなど、歴史の事実だけでは説明しきれない。そこで氏は「ドーダ」で済ませている。
きっと彼も脈絡もなく「ドーダ」したのではないだろうか・・・巷に「ドーダ」は溢れかえっている・・・・
家のゴミ置き場にベンツのSクラスで乗りつけてきて、ポンとゴミを出すおばさんもこの「ドーダ」である・・・「ドーダ」「ドーダ」「ドーダ」・・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿