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2012年3月19日月曜日

フィランソロピー Philanthropy

2つの時代が拮抗している、一つは個人の利益を最大限に慮る時代、そしてもうひとつが他者への協力、社会的幇助を個人の利益と並行させて考える時代。

東北のガレキの受け入れを廻ってもこの二つが対立している。

この対立は年齢による差ではないと思う。若い人でも前者的に考える人も多い。

それが絶対にイケナイというのではない。ただ、自らの痛みも受けながら他者の痛みを引き受けることが優先されない。それだけのことだ。

頭書のフィランソロピーとは利他的、奉仕的活動をさす言葉である。

これからの日本は坂の上の坂なのだから、人任せ、政府任せでは何も決まらない。

自らが考え行動する事が必要になる。

ただ、個人によってそのリテラシーがあまりにも大きくかけ離れている。

原発という問題ひとつとっても科学的根拠を到底理解しない人達が盲信的にわめき散らす。

そうそう、原発が起きた時に恥も外聞もなく、「すぐに国外に退去しなさい、私は子供、孫を退去させた」といっていた人がいたけれど、その後マスコミはその人を取材をしていない。

フィランソロピーとは我慢も必要な精神の拠り所だから、我慢のできない人はお引き取り願おう・・・

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