AM 7:00
息子が父から話を聞いたのはその翌朝だった。父親が学校に相談したらどうだろうと言う提案をきっぱりと否定したのも息子だった。彼もいじめを受けていたことがあったからだ。
彼は幼稚園の時に東京の西部から横浜に引っ越し、そのまま家の近くの小学校に通うことになった。その小学校は郊外の公立小学校特有の気持ち悪いほど何もかも均質なものだった。教師はステレオタイプで誰ひとり高い志を持たない。いや持てない気風だった。
初めて担任を持った若い先生が放課後子供達と親睦を深めようと遊びの計画をしても、どこからその話が周りに伝わり、最終的には差別になるので良くないと教頭から横やりが入って結局お流れになった。それ以来その若い教師は子供達と一線を引くようになった。多くの教師は子供個人ではなく、親の職業や肩書で子供を判断していた。
彼は はひとつの科目以外は全て完璧なまでにこなしたが、体育は駄目だった。陸上、体操、球技どれをとっても平均点以下である。それでも休むことはしなかった。
ある日、体育の授業のため校庭に出ようと下駄箱の靴を取ると、両方の靴の中に砂が目一杯入れられていた。始めは無視していたが、そんな陰湿な声なきいじめは暫く続けられた。それでも彼はそのことを親や教師に話そうとはしなかった。
5年生になった時に急に塾に行きたいと自分から親に請願した。受験など考えていなかったが、あまりの頼みなので浩一郎は仕方なく承諾し塾に通わせた。元々体育以外の勉強は好きだったのでみる間に成績は急上昇した。そして全国的に行われる模試で彼の名前が上位者に掲載されるようになった。するとその噂はクラスの中で広まり、彼のことが話題になった。今まで彼をいじめていた男の子も急に馴れ馴れしくなり媚びを売ってきた。彼は「ウンチ」から「テンサイ」に渾名を変えられ、いじめはなくなった。そして卒業すると都内の有名進学校に通うことになった。
彼が塾に行き始めて丁度1年が経過しようとした頃、社会科の問題集の中に「ユトレヒト」という都市の名前を見つけた。彼と一緒の塾のクラスにリヒト君というスポーツも勉強も出来る学友が居た。彼の名前はドイツ語の「リヒト=光」から付けられたと知っていたのでこのオランダの都市の名前も隣国ドイツの光にならってドイツ風に付けられたのだろうと調べてみると、それは間違っていた。ユトレヒトはUtrechtと綴る。
これはUrとTraiectumつまり橋渡しの場所という原意だと知った。塾の先生は中世に橋を掛けると言うのはとても重要な事で、深い場所や流れの急な場所に掛ければ流されてしまうし、また膨大な労力や資金も無駄になってしまう。まさに適所を見つけなければならないと説明を受けた。彼にとっての塾とはそんな橋渡しの場所に思えた。小学校のある岸から対岸に渡る場所のようなそんな気がした。
息子は浩一郎に週末時間が少しあるので、彼と話してみるといった。浩一郎と息子駅まで送った。
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