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2012年4月20日金曜日

超美味 生シラス

生シラスを食べた事のある人は多かろう。私も腰越の生シラスと言われて食堂で食したもののちっとも美味しくなく苦味さえ感じてどうでもいいやと思っていた。

ところが鎌倉に住むようになって春先に材木座でシラス漁を行っている前田水産(もんざ丸)で購入してから考え方が変わった。

シラスといえど場所や購入する店によって千差万別。ここで教えてもらった食べ方は生姜ねぎ、醤油のオーソドックスなものとユッケ風に生卵、ゴマ油と葱、醤油で食すというものだ。

ところがこのシラス毎日取れるものではない。まして青葉区のTストアーで売られている生シラスとは別物である。シラスは鮮度が命。料理店も買いに来るのだから。

今年は漁が遅れていて半月ばかり遅くなっているようだ。やっと2日前くらいから十分な量が取れ出したと聞く。

喜楽丸は坂の下のローソンの裏にある。いつもシラスを捕っている。今日はそのシラスだ。

春シラス特有の小ぶりの身は苦味はなく、甘さが際立つ。これは旨い。

シラスは内臓ごと食す。だから冷蔵庫の保存の仕方が重要だ。昨年、2回お腹を壊した。それは私が購入したまま冷蔵庫に入れただけだったからだ。

購入したら袋のまま、ボールに氷と水を入れたものにそのまま冷やす。これだとほぼ5.6度だ。菌は繁殖しない。そして食べる前に氷を取り除き氷水で洗う。これがお腹を壊さない秘訣だ。

いや、お腹を壊しても私は食したい。本当にこんな旨いものを食べられるのは幸せである。

明日は残ったシラスを小麦粉と卵とカイワレと小葱でワッフルにしよう。

これは又朝食に欠かせない・・・・・



美術史概論「ボストン美術館 日本美術の至宝」展

私は何故か知らないが、当時の大学の一般教養にあった「美術史概論」という授業をとった。当時の内容はもう忘れたがその時の講義の先生が「日本の美術が壊滅的な被害にあう事実が3回あった」「そしてその1回は辛うじて難を逃れた」といったような事を言ったことだけ覚えている。

1回目は応仁の乱、悉く焼き打ちされた。もう一つは太平洋戦争である。多くの文化財が喪失した。

その間を埋めるのが急速に西欧化した明治の時代の危機である。

その明治の言ってみれば、鹿鳴館にうなされて今までの芸術を見向きもしなかった時代に多く日本美術は軒先に置いてけぼりにされていた。その日本美術を海外逃避という選択で難を逃れさせた人こそ岡倉天心であり、協力者のフェノロサやピゲロだった。

そんな海外に逃避していた美術品の里帰りが国立博物館で開催されている「ボストン美術館 日本美術の至宝」展」である。

この展覧会は今年どうしてもみておきたかったものだ。

曽我蕭白はご存じのように奇才である。現存するものが多く伊勢地方で発見されたため当初はこの地方の出身と間違えられていたが、近年では京都の裕福な商家の生まれで、父母の死後、家は凋落し、自らも奉公に出て、色々な流派も含め独自で絵を学んだようである。

室町時代の画氏の曽我蛇足とは直接の関係はないようだが、蕭白はオマージュも込めて自らを蛇足軒と名乗っていた。

蕭白の雲竜図は実はつい最近まで、襖に張られていなかったため、展示されることが無かったと聞く、襖から外して急遽アメリカに運んだ当時の状況がうかがわれる。

専門家による修復も完了してお目見えになった逸品である。

私は絵の先生に「絵と言うのは写真とは違う、そのまま丸写しにすれば良いというものではない。描きたい対象を決めて、力強く、描くのです」と教わった事がある。

まさに蕭白の絵はそのとおり、描きたいものが何なのかはっきりと目に飛び込んでくる。

もちろん構図やそのデフォルメを嫌う人もいようが、私にはその個性がはっきりと感じられた。

展時には「平治物語絵巻」や「刀剣」「きもの」などもあったが「三条巻」より「信西巻」の方がスピード感を感じられて個人的には好きなのでさっと流す程度だった。

私の鑑賞方法は確かに一般から見れば邪道だと思う。みたいものを決めて直感的に視る。

そのほかの物ははっきりいってどうでも良いのだ。くぐっと心ひかれたものが何だったのかそれをみるために行くからだ。

笑っちゃう話だが、ルーブル美術館も1時間も掛らなかった。ニューヨークのメトロポリタンはフェルメールの青をみるためにだけにいった。

私のみるは「観る」ではなく「視る」なのかもしれない。

お時間があれば是非足を運ぶ事お薦めする。上野は丁度、八重桜とぼたんが盛りだった。桜の後、草木が一斉に光り輝きだした。








2012年4月18日水曜日

SNSとマスコミ

ブログを初めてもう2年が経ちます。FACEBOOKは丁度1週間てす。TWETTERはやっていません。

私がFACEBOOKを始めたのはHPの制作をお願いしている人から是非やった方が良いですよと言う言葉を受けての重い腰上げでした。

そもそも映画を観た人には説明は不要でしょうがFACEBOOKはハーバードの美人投票に端を発し、同大学の人気にあやかって拡大したという歴史を持ちます。

私はそういう権威的手法が大嫌いなので参加しませんでした。

一方、親友で大企業をポンと辞め今はベンチャーの執行役員をやっている人間から、「注意してやるならそれ相当の面白さがある」とも聞かされていました。

実際にFACEBOOKをやってみてそんなやる前の先入観を上回る効果を感じました。

ブログはマスコミを小さくしたようなもの、熱心な読者にこちらの情報は伝えられるものの双方向とはいきません。

その点FACEBOOKは双方向いや多面的な情報通信です。

さらに実名制については(以前も書いたことがあります)は様々な変化を生みだします。

ある地方の政治方針についてFACEBOOKとTWETTERで比較したら正反対の評価が顕われたと聞きました。

FACEBOOKでは肯定的な意見、かたやTWETTERでは否定的意見になったようです。

では全て良いのかと言われれば疑問も残ります。実名制と言う正義の仮面は果たして本当の情報なのでしょうか・・・私にとってある程度のそのことをバイアスとして視なければしっくりこないからです。

人間は良い面だけではありません。負の面も併せ持つものです。ですからFACEBOOKはまさにこの上に成り立っているといっても過言ではないでしょう。

FACEBOOKが点と点を繋ぐのであれば、ブログは平面に広げます。

誰かがTWETTERよりやはりブログが大切と言っていました。プログは情報発信する側に時間を与えます。そう考える時間です。これは大きな違いです。

FACEBOOK個人の生活のアーカイブとは成り得ましょうが、思想のアーカイブとはならないのです。

私がブログをやっている一番の目的は新しい「知」を知りたいからです。

ご存じのように「セレンディピティ」という言葉があります。そのまま訳せば「情報発見能力」とでもなりましょうが、つまり何か新しい探し物をしていなければ幸運はやってこないの例えです。

大学を卒業した時の私の頭は空っぽでした。今考えても恥ずかしい限りです。そんな空っぽの頭でも社会の経験や先輩、友人の刺激を受けて新しい「知」を知るのです。



CPスノーではありませんが、私達の多くが自分の知らないことに疎いのです。

私は高校の時の生物の教科書をみて愕然としました。今の教科書に載っている事はほとんど触れられていないのです。

一方、旧制中学入試問題集という本を購入しました。こちらは逆に今では分からないような漢語の表現が目立ちます。

そうです、「知」というものは積層されアーカイブ化されるのです。決して一時点で完結されるものではないのです。日々更新されて行くものなのです。

偶数たす奇数が何故奇数になるか説明せよという簡単な問題があります。

そうN+N+1=2N+1という簡単な自然数の式が正解ですが、MBAも持っている大変頭脳明晰の友人が習った事がないと言ったのです。まさに、その友人の時代には全く教えられなかった事だったからからです。

前述の生物の話と同じです。

SNSとマスコミの違いはSNSがそれ自身更新、自浄作用があるのに対してマスコミはありません。

恐らくマスコミの人は分かってないのでしょう。私のところに時より遊びに来られる某新聞社の編集委員の女性はそんなマスコミの有様に嘆いておられました。

一部の人は慧眼を持ってこの状況を俯瞰しているようです。

しばらくはその意味でもブログは継続していきます。(笑)





2012年4月17日火曜日

release or retain

あるきっかけで私が40代の時にMBAを目指そうとしたら、時間は有限だからもっと他の事をしようと言われました。その人もMBAホルダーですが・・私には何故なのかその時は分かりませんでした。

しかし、今になって考えると「その事」をしなかったお陰で「色々な経験」をすることが出来た訳です。

結局、人生は「幾千万回の選択の連続」です。まして時間と言うものは均一ではありません。



皆さんは本川達雄氏著書「ゾウの時間ネズミの時間」という本を読んだことがありますか。

動物はサイズによって心臓の拍動も異なり自ずとして時間も変わっていると書いてありました。

そうです時間は相対物なのです。

人間に至っては若い頃より歳をとった方が一年が早く流れると感じた人が多いのではないでしょうか。そう感じた人は全うに生きていると断言できます。

歳をとり、感化されることが多くなり、物や人との関わりが若い時に比べて格段に多く複雑になっている証拠です。

脳は確かに記憶力や多くの機能が老化します。それは生物学的な自然な流れです。

ただし老化しても強化されて行く部分もあるのです。経験や知覚というものは進化します。そしてそれらは学習を通して新たな次元に記憶は「再構成」されるのです。

ここにもう一冊の本があります。



ここにもそんな脳の不思議な事が描かれています。物忘れがひどくなったと嘆いている人には必見です。

ただ困った人もいます。それだけ処理しなければならない情報や事象が多いのにも関わらずリリース出来ない人です。

こんなはずじゃない、こんなことはおかしいといわんばかりです。

全ての事を保持する事は出来ません。忘れるべくして忘れるのです。

「断捨離」も一種の物のリリースです。これが出来る人は人生においてのリリースも出来るでしょう。心配ありません(笑)

最近巷で話題にのぼる「シェア」、「公共」、「ネットワーク」も実は根っこの部分でこの「リリース」があると私は思うのです。

フェイスブックを始めるまで個人の実名制やそれに伴う様々な効果に疑問的でした。

実際にやってみると、つまり呪縛を解かれた(リリースした)ら物事の次の局面が現れてきたのです。

ですから皆さんも自身の呪縛を是非解いて見て下さい(笑)



「下流社会」で有名な三浦展氏がこのたび「第四の消費」という本を上梓しました。

早速購入して読み始めましたが良書だと思います。倍くらいの文章をまとめたと書いてあった通り充実して内容の濃いものです。

この「第四の消費」にも書かれていますが、「つながりを求める消費」とはつまり「リリースした消費」とも読み変えることが出来ます。

物を売りながら同時に共感や情報も提供していく。新しいスタイルです。

色々と記しましたが、結局自分自身でreleaseしているのかretainしているのか考え選択することなのです。

皆さんも如何ですか??選択していますか??





喉元の骨・・・






糸井さんと私は直接の知り合いでも無ければお友達でもない。ただ前の会社のグループで彼が作ったコピー「おいしい生活」は今でも記憶に新しい。

彼が震災以降ずっと被災地への応援を継続している。もちろん彼に限った事ではない多くの人が善意と自らの信念に基づいて行っている。

私が言いたいのは何と言うかそういった外形のことではなく、彼の根っこにあるもの、つまり幼いころから今に続く原体験において自然とそうした行為をしているように感じたのである。

彼は私より10歳も年上である。恐らく彼が入学したころには学生運動の真っただ中であったであろう。彼の大学はH大学はそうした左翼のアジトだったと聞く。彼はそんな学生運動をどう見たのであろう。

彼は18年間前橋で暮らした。私の生まれ育ったK市と同じ赤城山の南面に位置する街だ。

彼の高校は県内でトップクラスの進学校だった。私達の頃にも「バンカラ」という気風が残っていた。下駄で登校する輩やわざと学生服の襟や袖を擦り破っていたものもいた。

当時は社会が決めたもの、親が決めたもの・・つまり大人が決めたものをカッコ悪いと思っていた。

不良でもないのに不良を気取っていた。チョウランには虎が刺繍してある学生服を着ていた友達もいた。

私はそれは着られなかったが、それでもアイビールックなんて絶対着る事はないと思っていた。

赤城山からのからっ風を顔に受け、いくら漕いでも前に進まない自転車に乗って砂まじりじりの学校に通った。

私が上京して初めて目にしたものはこの社会の仕組みが18歳の若造が考えていたようなものではなく、そんな事お構いなしに時計のようにコツコツと前に進む世界だった。

止まることも考えることもない世界・・・高度経済成長の最後の時期だった・・・

私は上京して大いなる挫折をした。庄司薫の本とはまるで違うこの社会に・・・・

そして次第に頭から18年間の原体験は消えて行ったのだ。

30歳を過ぎて故郷に帰ったことがある。私も彼と同じく故郷で両親が離婚した。

良いことも悪いこともこの街にはあった。やっと30歳を過ぎて故郷に帰ることが出来たのだ。

そこで私は根っこがここにあったことを痛感した。今まで消え去ったと思っていた原体験が形を変えてひよっこり顔を出したのである。

私はそれ以来故郷を否定しない。つまりありのままの私を顕すことにしたのだ。

そんな事を考えると彼の震災支援は彼の原点回帰なのではないかと思う。

日本は二つの繋がりで結ばれているのではないかと思う。

ひとつは東北から栃木や群馬を連ねて東京につながる道。もうひとつは九州、四国、近畿地方から東京につながる道だ。

我々は思考するとか哲学するとかする以前にこのDNAが影響して知らず知らずに自分の行動に影響しているのではないかとこの頃思う。

私の住んでいる横浜の山の手より鐘が淵や曳舟の工場と住宅が混在している街に行くと妙に心が休まる・・・これも原点へ近づいた知るしかそれとも単なる懐古趣味なのか・・分からないが・・・



2012年4月16日月曜日

蝶の話  Butterfly

蝶はバタフライ、かたや蛾はモスである。今日は蝶の話。

私は子供の頃、蝶にはまっていた。子供なら一度は経験する虫獲りの類だが、何事も凝り性の性格ゆえ、蝶に関する書籍はつい読みふけったものである。

まず捕蝶網。出来るだけ大きめで軽く、柔らかい網である。網の長さも重要だ。当時は竹や細い木が主流だったが私はアルミで特別に作ってもらった。今ならカーボンか・・ただ落雷が怖い。

蝶を捕獲したらまず薄紙に羽根が折れないように綺麗にたたむ。この時蝶を軽く押して弱らせる。動かないようにしっかりと紙の詰まった三角形の容器に入れる。

家に帰ったら、死後硬直しないうちに桐で出来た標本台に乗せ、防腐材を注射器で蝶の胴体に注入する。紙テープで蝶の羽を広げ固定する。

体が固まったら標本箱に並べ、小さな紙に採取地、採取日、種類、雄雌を書き並列させる。

調べて行くと色々な事が分かってくる。例えばリュードルフィアライン=Luehdorfia lineというものがある。

地学で習ったフォッサマグナとは違うがこの線の西側ではギフチョウ、東側ではヒメギフチョウが生息する。

ギフチョウがカンアオイを食性とするのに対し、ヒメギフチョウはウスバサイシンを食性とする為に棲み分けられたという。しかしながら近縁のこの2種には混在型つまりハイブリッドも存在するそうだ。

アメリカにいる移動する蝶として有名なマダラチョウことオオカバマダラは幼虫がトウワタという植物を食べる。これにはアルカロイトが含まれていて蝶もその毒性をまとうことになる。

マダラチョウ全般がこの傾向があり、毒性を持つ。そしてそのためかマダラチョウは蛾に擬態していると言われている。

子供の頃の記憶なのに良く覚えている。蝶の事で何一つ得をしたことはないが学ぶとはそういうことたと思う。

久しぶりに宮益坂上の志賀昆虫普及社でも覗いて見るか。

いや志賀昆虫は確か戸越銀座に移転したのだった・・・残念・・・


知り合いのオフィスには番組制作生業としているので、某局の取材でボルネオに行った時のお土産として各種の昆虫の標本が飾られていたが、そうあのとき少しだけ昆虫の知識が役だったかもしれない。

まあそんなものだ・・・・

2012年4月13日金曜日

新しい発見  心持

新しい発見は一人では出来ません。人によってもたらされるのです。

偉そうに言ってますが、新しい事を発見できなければ人生本当につまらないものです。

仕事のヒントも、教育や親業もみんな人によって改造され新しく生まれ変わります。

私は息子が筑駒に入学したときに一度だけ先生との面談にいった事があります。

担任の社会科の先生の部屋(個人に部屋が与えられているんです)に伺った時、書架に並べてある蔵書を見て驚きました。

マルクス、エンゲルスはもちろんフーコー、デリダ、和辻哲郎、ウィトゲンシュタイン、村上春樹・・・・

私が教職を目指して出身の教育委員会にいった際の先生のものとは大きく異なりました。

すでに中学生の頃にウォラーステインやデカルトを教えている(先生は教えているとは言いません。ヒントを与えていると言っていました)

そしてそれを咀嚼する生徒達・・・私の考えていた先生像とは大きく異なりました。

私には新しい発見でした。

そう新しい発見は常に人によってもたらされるのです。

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ローソンのLチキンとその専用のバンズがあることに2日前に知らされました。(ブログで知ったのでした)

初めて購入し食べてみると・・・・ウン!!!美味しい!!!確かに旨し!!

ゴボウサラダをプラスしたらもっと美味しかったでしょうね。

これも新しい発見です。知らなかったら一生出会ってない経験です。

何気ない生活の中で新しい発見は毎日あるのです。そしてそれは人によってモタラサレルということを再確認しています。

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昨日、私も面白い発見をしました。(発見じゃないけどね)

妻がお茶受けとして外装工事の職人さんに焼きまんじゅうとビスケットを出したところ、焼きまんじゅうだけが空になって戻ってきました。

あの独特の食感(頼りげないモコモコ、フワフワとした)を好むとは珍しいと思っていましたが、先方より「旦那さんか奥さんはもしや上州の出身かね」と言われました。

大正解!!私は正真正銘上州の出身ですから。

すると親方も吾妻の出身だと聞きます。巷ではこれを奇偶といいますが、これとて新しい発見をしようとこちらが考えなければ知らぬままです。

新しい発見は常に私達受け手側の心の持ちようによるのです。




あっ・・・それと蕪と鶏肉の炒め物はこうやって作るのですよ・・N子さん分かったかな???
ポイントは肉に火が入ったところで蕪を入れ最後に青菜を加えることです。