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2011年3月12日土曜日

大地震 その時

皆さまは今回の地震をどのように体験されましたか?もちろん今でも余震が頻発しています。

被害の甚大な東北地方の皆さまには心より心配しております。私の遠縁も石巻漁港近くにおりますし、義父の生まれ故郷は宮古市です。

私は腰痛のため鎮痛剤のためかソファーでうとうとしていました。会社とも電話で連絡を取り終えたばかりのときです。妻はあざみ野に買い物に出掛け私とセプとさくらだけです。

その時大きな横揺れと小さな縦揺れが起こりました。逃げるにも腰が痛くて歩けません。セプはいつものテーブルの下の定位置です。少し安心です。巨大な本棚が落ちてきたら私とさくらはひとたまりもありません。もう覚悟を決めました。さくらは急を察したのか私の横にくっついています。

幸いなことに我が家では数冊の本が落ちた程度でしたが、私の頭上のガラス製の照明器具がアメリカンクラッカーのように揺れていました。我が家の脆弱性発見です。

その後私の家は7時間近く停電で会社に連絡を取りたくても取れません。娘は生徒を避難させてから電源を落として安全を確認後1時間半掛けて徒歩で帰宅しました。教室の天井は落ちて火花が散っていたと言っていました。映画館の天井も落ちエスカレーターには巨大なクラックが入っていたようです。

事務所の皆は一番お世話になっている方のところに身を寄せさせてもらったようです。本当に助かりました。遠くの親戚より近くのです・・・・・・・・・・帰宅難民にならずに済みました。

ひとつ気がかりなのが鎌倉ベースに居たS氏のことです。逗子マリーナは西向きなので津波の心配はあまりしていませんが、停電が心配です。東南海地震の想定では1.5メートルなので階段で上に登るのが安全のようです。

大自然の災害の前に人間の成せることはほとんどありません。人間の考えることは大したことはありませんが生死の分かれ目がほんの些細なことだとすれば考えることは必要なことです。

電気に依存した生活さらに連絡の手段など再考しなければならないことは沢山あります。

直接の災害はなかったものの私の腰痛は治りません。腰痛というより背中を動かすと激痛です。

動画は余震のときの我が家の新月の揺れです。

写真は停電で暗闇の中、カセットコンロでコンビニで買った鍋を温めて食べているところです。

電気で無い非常用電源、ラジオ、カセットコンロ、ペットフード、カイロ今更ながら必要です。

いち早く心配してメールしてきたのは京都にいる息子でした。とりあえず家族の安否は確認できました。

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