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2011年4月8日金曜日

リスク管理

色々な人と話す機会があるのでその都度はっとさせられたり、とても参考になることがあります。

昨日も今回の震災とその後の原発事故さらに国民全体に及ぼす影響の話になった時、ちまたのリスク管理本やリスク管理を仕事としていた人たちの多くが、今回の事態を予測し、リスク回避し得なかった事に話題が及びました。

リスク管理を主業務とする某警備会社でも、地震の異常通報により動かなくなったATMを見に行った人が多くの人の命を救う代わりに津波の被害に合い、行方不明のままだそうです。

「私達は知っていることを知っているが、知らないことは知らないのだと」その通りです。

リスク回避を主業務としている人なら、そのリスクがいかに高いのか分かっていたはずです。しかし、そのようにリスク回避の行動をとらなかった。それが事実です。

リスク回避が、危険察知回避能力と同じだとすれば話は別ですが、我々は動物のように沈船から全てのものを放棄して海に飛び込むことは出来ません。これが人間としての矜持です。

関西に住んでいて、どこか遠くの出来ごとのように、日本陸軍の補給作戦のようだと批判したり、故郷を捨てて疎開せよと勝手に話されるのは、被災し、放射能の恐怖に怯えながらも故郷を守ろうとけ必死に生きている人にはどう映るのでしょう。

昨日も目の前で交通事故を目撃しました。小学生らしい男の子が坂道を自転車で走って来て、止まらずに優先道路に侵入し、パジェロの側面に衝突したのです。

自転車のホイールはひんまがり、子供は宙に放り出されて鼻血を出していましたが、意識はしっかりしていました。既に誰かが救急車と警察を呼び、じき救急車に運ばれていました。

そのときの運転者も、子供も、私を含めた傍観者は原発の放射能より今この現実が優先していたのです。原発のことなど頭にはありませんでした。

危険は原発に限りません。我々の日常の至る所に潜んでいます。だからといって原発をそのままにしてよいなどというつもりはありません。ただ、起きている現実との重みの違いにより、人は行動や意識を変えさせられていることも理解せねばなりません。

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