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2018年11月30日金曜日

寿司という食べ物

寿司という食べ物

日本人は大方、寿司が好きである。確かに周りを海に囲まれ四季を通じて色々な魚種が楽しめる地理的立地からも道理である。しかしながらそれも高度経済成長と列島改造による流通網の整備がされた後の話である。
私が小さな頃、関越道はまだ開通していなかった。私の住む北関東のK市から東京に行くには東松山まで一般道を走り、やっと高速に乗ることが出来た。東京まで4時間近くかかっていた。そんな状況だから新鮮な魚を手に入れるのは至難の技であった。それ故子供心に寿司が美味しいと思った記憶はない。寿司が美味しいと思ったのは上京してからの話だ。
回転寿司は1958年大阪の元禄寿司として登場した。と言ってもこれほど全国津々浦々に膾炙されるようになったのは1980年代以降である。娘が小学生の頃、カウンターの寿司屋に行こうと誘うと、回転してなければ嫌だという。我が家の家計の状況が垣間見られる話だが、その後、自由が丘の回転寿司店でたらふく食べた。
寄る年波、何とか回らない寿司店でも食べられるようになったが、このところ一つ気になる事がある。それは店側が予め決めたコースで一斉に食べさせるシステムが多くなった事だ。確かにプロが吟味した最高の食材かもしれぬが、人間というのは厄介な代物で、タコが好きな人がいれば好きでない人もいる。イカ同様である。さらに食べさせてやっているという店側の態度を感じた時には、ミシュランで星を取っていようがいまいが、私は席を立ちたくなる。
いつから寿司はそんな高級な食べ物になったのだろう。庶民に愛された江戸のファストフードだったのではないか。
日本橋に古くから続くY寿司という店がある。ここは良い。客に押し付けでなく好きなものを食べさせてくれる。食材に対する研究も怠らない。今のご主人のお父様は他界されたが、寿司の歴史についても研究怠らなかった。高みに登れば登るほど平謝温厚にて口数少なしが良いとされてるのは言うまでもない。

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2018年11月5日月曜日

続けるという行為 幸せのお裾分け

 40歳の時、髄膜炎で入院したのをきっかけに、ブライベートでは嫌いな人、尊敬できない人とは付き合わないと勝手に決めました(笑)我儘な性格ゆえ元来友人の数も多い訳でなく、そこに来てのこの判断どうなるものかとほんの少しは心配でもありましたが、この20年近くを振り返ってみるとその関係はあまり大きく変わらないことが分かったのです。
 私の場合、高校や大学の友人以外では、仕事関係の友人は少なく、どちらかというと家の近所でただ犬を飼っているということだけで集まった人達と20年来楽しく付き合わせてもらっています。さらにこのメンバー全員夫婦、家族単位でのお付き合いという点も特筆できます。年齢的には私達と同世代のご夫婦、そして一回り上のご夫婦、さらにその上のご夫婦といった具合で年齢的にも職業的にもバラバラです。ただ一つ言えることはそれぞれのご主人はその本業においてエキスパートであり、人格的にも尊敬できる人たちばかりです。
 先日もその一人のドクターのご自宅でのBBQパーティがありました。このパーティも突然思いついて開催するのではなく、20年同じような季節に、同じような環境で、同じ手作りの料理を出してくれているのです。私などドクターの作るこのタンシチューを食べないと冬がやってこないくらいですから(笑)ドクターの多忙な時間を割いて私達のために美味しいタンシチューを作ってくれることで私達は幸せのおすそ分けを頂いているようなものです。毎年同じような時期に繰り返されるこの行為は回を重ねるたびに、その行為そのものがアイデンティティ化されていくのです。
 12月にも別の友人のご自宅で同じように恒例のクリスマスパーティが開かれます。参加する私達はただ感謝しかありません。
 同じような時期に、同じような手料理を出し、皆んなに幸せを分け与える、とても素敵なことです。ある著名な人が言っていました「手料理でもてなすことこそどんな高級のフレンチや懐石料理より、最上の接待である」私も同感です。




2018年9月14日金曜日

凡庸なる額

 私たちの行動は過去の成功体験に基づいて行動している。生物学的に見ても学習行動と呼ばれるそれは人間に限らず他の生物でも見られる。例えば猿に赤い紐と青い紐とでとちらかを選ばせたならば、過去において良い経験=成功経験をした時の紐を引っ張るだろう。

 ところがこれを同じようにビジネスの世界で行えばどうなるだろう。イノベーションは過去の成功体験からは生まれないのだから、その組織はゆくゆくdinasoursに成り果てる。
過去の成功経験と言っても多くの場合、一つの要素では決まらない。マーケットやその時の販売チャンネル、顧客の特性など様々な要素が複雑に関係しあい、決定されるのである。失敗をすることが怖い。ならば過去と同じ方法で行うなど論外。その時その時の最適解を求めなくてはならないのだ。

 昨日も打ち合わせの中でこの要素が鎌首を待ちあげた。素早く打ち消して凡庸なる額を押さえたのは言うまでもない。


2018年9月11日火曜日

小説神髄

 この夏、先兄に勧められて早瀬 耕という私より一回り若い作家の小説を読んだ。最初に読んだのが「未必のマクベス」という小説だった。プールサイドでゆっくり読むつもりだったが、冒頭のマカオのカジノのシーンからそのまま引き込まれ一気に読んでしまった。小説がデビュー作「グリフォンズガーデン」から20数年ぶりの新作と知ったのは後だった。そして彼のデビュー作、その続編とも言うべき「ブラネタリウムの外側」を続けて読んだ。読後の感想はどれも清々しいものだった。
 彼の小説をSF小説と言う人がいる。何故、人はそう決めつけるのだろう。小説は小説である。読後に清涼感を感じ、また読みたくなる小説は良い小説である。それがSFであろうと、難解で読みづらいものであろうと良い小説とはその一点に尽きる。
 ロパート・A・ハイラインの「夏の扉」も私にとってはそうだった。学生の頃、一気に読み進みその読後の満足感は今でも覚えている。ただ、その当時、アメリカの公文書図書館があった街「カールスバッド」を知ったのは息子の机の上にこの小説があったのを発見した30年も経った時だった。
 村上春樹を好きな人も嫌いな人もいる。それはそれで良い。でも前述の私のように自分の知識や見識が乏しく気づかなかったり、知識や見識を取り入れたくないという怠惰な考えのため拒否しているならば既に読者崩壊である。
 美意識というもの、自らの嫌悪の集積であると伊丹十三はその考えを述べているが、それはあくまで嫌悪できるだけの知識の集積の上に成り立つ。
 早瀬 耕にしても村上春樹にしても読者をその世界に連れて行ってくれる。それは私たちの記憶の断片に語りかけ「ねえ、そうだったでしょう」と甘い言葉で囁きかけてる。
3号線から見える西陽のあたるベランダにゴムの木のあるマンションを探したものは私だけではあるまい。陸羽茶室で広東語と大きな麻雀牌あたる喧騒のなかで、何故かBei XuのTou are so beautifulを聞いたのも私だけではあるまい。




2018年7月24日火曜日

シミュラークル シミレーション

 私のお客様の中には国産信奉者も少なからずおります。電化製品を始め、車、機械類は国産に限るという強い信念を持った方々です。大抵は私より年齢の上の方が多い気がします。
 それとは別に自分にはどうせ手が出せないからという消極的理由からくる人たちです。これには単なる妬みも含みます。これはどちらかと言うと私より若い人に見参されます。
 物としての生産物はひとえに模倣から始まります。さらに模倣が模倣を続けるとそのオリジナリティは失われて行きます。国産信奉といってもこの国はまだ100年ちよっと近代史の中で世界第二の工業国になったのは、この模倣が上手かったからに他なりません。そして僅かな差異(シミレーション)を作り上げ、最終的には記号化されてしまうといったのはジャン・ボードリヤールです。
 実学ばかりが有用ではありません。実学と並走して哲学や倫理学に触れることで、平仄が整い人生を豊かにして行くものなのです。何を青臭いことをといっている人には、青臭いアカデミックな思想が欠如してくるものなのです。
 車なんて所詮鉄の塊で記号に過ぎないのです。国産だとか輸入車だとか言っている人は複雑化する世界の全体像が掴めていない悲しい人なのです。何処かの国の大統領もそうでした。思い込みと思想のなさは同調します。

2018年6月27日水曜日

時間は一様ではない

時間は一様ではない。
我々は子供の頃、早く大人になりたいと毎日毎日時間の経過を待ち望んでいた。ただ、月日が経つ事を・・・
時は過ぎ我々は大人になり、伴侶を得て、忙しい子育て、働き盛りの最中にはどうしても1日はこんなに短く早く時間が過ぎ去ってしまうのだろうと天を見上げて恨んだ。時間が駆け足で過ぎていく時代だった。
艾年を過ぎ子供は成長し家を出て、娘は嫁ぎ、家には妻と二人の時間が流れる。時間はゆったりと静かに流れる。
人生における時間は川の流れに似ている。私はこうした川の流れに抗う人を見てきた。多くの場合、ほとんど失敗だ。どんなに若作りをしても50歳は50歳で、また、大人びた格好をしていても中身は子供のままだ。そんな訳で端から見ていても滑稽であるし、うまくいく道理はない。
この大きな川の流れの最後は海に繋がる。そしてその水が蒸発して雲を作りまた雨となり、大地に降り注ぐ。
若い時には若い時なりの時間、壮年期にはまたそれなりの時間があった。残念ながらそれが分かるのは海が見え始めたあたりからだ。上流や中流の強い流れの中では今を見ているのが精一杯だから。
大いに今の時間を楽しもう。人生は一度きりなのだから。多くを巻き込んで、こだわりは良い。でもリリースする事を忘れて我欲に走るのはいけない。

2018年5月31日木曜日

大きくなるということ

私より少しだけ年配のそのシェフは今や日本を代表する料理人となった。

30数年前、そのシェフの料理を当時オープンしたての四谷の店で食した時の感動は忘れなれない。こういう店に来られるようになりたいとぺらぺらの薄い財布を見ながら思ったものだ。

その後、日曜日に自由が丘にあったシェルガーデンという高級スーパーで彼を見かけた。休日であろうに並べられた食材を手に取り顔に近づけていた。近くには奥様と思しき女性が一人いたが彼の姿は真剣そのものだった。

それから数十年が経ち、彼の名声は高まり、テレビにもよく出演するようになった。素材についても彼は地元産のものはもとより、日本全国美味しい食材を集めてその技術で最高の料理を提供していた。恐らく焼尻島のミネラルの豊富な草を食べて育ったサフォーク種を膾炙させたのも彼と銀座に店を持つTさんが最初ではあるまいか。

それからさらに数十年が経過し、彼の店舗数もだいぶ増えたが想像していたようには増えていない。彼のメインの仕事はラクビーW杯の最高顧問に代表されるような名誉職が多くなった。それはそれで彼の努力の賜物だから賞賛したい。

とある土曜日、そんな彼の元で研鑽を積んだ若手のシェフが北鎌倉に新しくお店を出したと聞く。財布も大分厚くなったので予約してランチに伺う。

鎌倉の土日は身動きが取れない。ならばと蜑戸から海水で錆びたビーチクルーザを引っ張り出し。あの坂を登ってやってきた。

つくや否や、自転車の置き場所を尋ねると一人のスタッフはここでもう少し手前にと言っていた矢先に、その錆び付いた自転車一目見るなり奥から別の女性が走ってきて、当店に自転車置き場はありませんときっぱりという。私はこのまま帰ろうかと思ったが、「料理は美味しいので食べていってください」との別の女性の一言で思い留まり食事をした。この時帰っておけばよかった。

料理は前菜が7種、メインは魚介別々に調理し、その上からブイヤベースを掛けるというものだ。そしてそれに合うワイン3種類。

詳細は省こう。まず前菜はどれもコストのかからない食材である。コストはいい。美味しければ。調理法も何もあったものではない。家で食べているラペの方が断然美味しい。メインのスープも凝縮して濃厚とあるが旨味が出ていない。この魚介のスープでは五反田にあるTシェフのスープが白眉である。簡単な手法なのに旨味が詰まっている。ここのものはその半分程度の凝縮さだ。

とまあ最初は否定していたが、よくよく考えてみると組織やお店が大きくなると人によってその見方が変わっていしまう。例えば十二単衣を着ていた女性そのものを見るのではなく、上衣の色を見るもの、その刺繍を見るもの、足袋を見るもの、顔を見るもの一人一人一様である。来ている人の本質(中身)を全員が見ているものではないのだ。

そういえばとある飲食プロデュースクループに入った恵比寿の中華もそうだった。

組織や店が大きくなると色々な解釈をする人が増えるのだ。数十年前私は上場を目指したらどうだと証券会社の人に言われた。その時に「私の会社は大きな商店でいいんです」と苦笑いしながら答えたことは今考えると満更間違っていたわけではなかったようだ。

※写真は本文とは関係ありません。




2018年4月5日木曜日

清明 捨てば満ちる

今日は二十四節気の一つ清明です。春の清らかな気が満ち、草木が萌え出る様子です。

今日はとても清々しい気持ちです。何故かというと、昨日、一杯の中華蕎麦を食べて心も体も満足したからです。料理の美味しさもさる事ながら、その店主の師弟の関係や発展も含めて素晴らしい正の循環を垣間見る事ができたからです。

私たち人間は生まれた時には自我がありません。成長するに従い社会的適合性を持つために自我が発達します。これは必然です。しかしながら、行きすぎた自我というものがあり、仏教ではこれを強く戒めています。

自分と他人を分けるのは仕方ない事です。何を今更と言われかもしれませんが、この分け方が問題なのです。自分にとって都合良い事ばかり優先して、他人は別と言い切る。

私の知っている家族で自分の家の前の道路しか掃除をしない人がいます。雪かきも同じですね。その人に言わせると「フランスでは道端に犬が糞をしても取らない。何故ならそれを職業としている人を失職させてしまうからだ」と。そうでしょうか。

親は子供を育てるのに見返りを求めていません。求めているとしたら既にいびつな親子関係と断言します。その見返りを求めないのは、自分と子供がいわば一心同体だからです。
子供の痛みは親の痛みでもあり、子供を救うためなら自らの命さえ厭いません。

それが何故家族を超えると急に他人として分け隔てをして、利己的に振る舞うのでしょうか。

先ほど仏教の話をしましたが、自分も他人も繋がっていてそれを「縁」というのです。

何気ない他人との交わりが結局「縁」となって自分に返ってくるのです。そう分かると何事も関係ないじゃなくて、すべて繋がっていると理解できるのです。

さりとてこの事ばかり意識したのでは、自分のための他人への行いになってしまいます。
偽ボランティアに他なりません。

震災の時にマスコミに取り上げられた偽ボランティアの多かったことか。彼らは自らの主張をこの時ばかりと利用して、本当に他者のために無償の救済をするためにしているのではないからです。その証拠に偽ボランティアは今は何一つ残っていません。

 NHKのニュースキャスターをしていた女性が先月末退局しました。

彼女の散り方は実に清々しく、その応対に私は驚かされました。

道元の言葉に「捨てば手に満ちて」というものがあります。多くを持ちすぎたり、引きずりすぎると新しい何かが手に入らない。いつも心を軽やかに清くいることでまた戻ってくるというものです。まさにその言葉通りです。

今までの経験や肩書き、プライドなど何にもなりません。あるのは心軽やかに清々しくいることです。清明の日にふさわしい事ではないでしょうか。



2018年3月2日金曜日

Affalterbach/Stuttgart/Leonberg

Affalterbach/Stuttgart/Leonberg

 私の好きなものを3つあげろと言われれば、犬と車とワインということになります。
 ワインは別として偶然この好きなものが近くに集まっているのです。


 Leonbergerは名前の通り、ドイツのLeonberg市の紋章でもあるライオンに似た大型犬を作出したいというブリーダーにより作り出されました。先代のサクラはこの犬種のスタンダードからするとやや小型でしたが、気立ては優しく、他の犬と一度も喧嘩をしたこともありませんでした。享年13歳と2か月で虹の橋を渡って行きましたが、私にとってこの13年は彼女との幸せな時間でした。


 私の車遍歴は30代のLANCHに始まり、FORD,DEFFENDER,RENGE ROVER,BMW,Mercedes・・・台数こそ多いものの、全く持って脈絡も統一性もありません。

 私は密かに艾年を過ぎてから911に乗ろうと決めていました。初めて911に乗った時のハンドリング、シャシーの合成、足回りの素晴らしさは今まで乗ったどの車とも違いました。水平対向6気筒エンジンはキイを回すとブルッと唸るもののすぐに治まりその素性の良さは驚くものでした。私はそれ以来911のファンになりました。私の911カレラSはフォルクスワーゲンに買収される前のものです。製造場所はあのマークの跳ね馬の紋章を持つStuttgart市です。この車好調で8年近く経過しても入院は一度もありません。メンテナンス費用は驚くほど安く、保険料だってそんなに高くありません。今も大切な相棒となっています。

 そしてもう一台、前述した大型犬を運ぶために荷室の広いゲレンデを購入していました。このゲレンデはSOHC 5000ccというストロークが大きく、トルクのあるエンジンでした。その後改良されてDOHC 5500ccのものや、ディーゼルエンジンも作られましたが、私の食指を動かされるものはなく、ただ唯一、私には不相応と思っていたG63が素晴らしいと感じていたのでした。
 ところがこの私のゲレンデも10年の月日が過ぎ、10万キロを超える走行となり、内装も大分系年経過を感じるようになりました。私は数人の懇意にしているディラーのサービスマンの知り合いがいます。彼らは純粋に車が好きで、そして楽しく語り合える人たちです。そんな一人からこの新しいゲレンデを紹介してもらったのです。色も前と同じ白。そして何よりG63です。もちろん不相応なのは分かっています。でも後何年こうやって車を運転して楽しめるのでしょう。それにお金は天後(地獄)に持っていけません。やはりAMGのエンジンは素晴らしい。5500ccのエンジンにツインターボ、実は12気筒のBMWにも乗っていたことがありましたが、12気筒のうち4気筒は何時もお亡くなりになられていて実際には8気筒で走っていたような気がします。笑。AMGがドイツのAffalterbach市にあると知ったのはその後でした。AMGのマークのリンゴの木もこの市の紋章からとったものです。

 そうそう6月にもう一つ、我が家にやってくるのです。そう、Leonbergerのパピーです。






2018年1月16日火曜日

ラブラドールとシャルドネ

 我が家には10か月になる茶色のラブラドールの女の子がいます。すでに3代の犬を飼っていたので犬の躾は大丈夫だろうと嵩をくくっていたら、子育てを忘れていた孫のような扱いに犬も知ってかしらずか、中々言うことを聞きません。これはまずい犬のためにならないと育児書を引っ張り出して親業を一から始める始末です。
 我が家のラブラドールは茶色ですが、父親はイエロー、母親はブラックだそうです。中学の時に教わった優性遺伝というものらしいです。ですから、祖父母のどちらかが茶色ということになります。
 ところで話は変わりますが、ワインの葡萄の品種として今では広く膾炙しているシャルドネはラテン語のCardonnacumという言葉が語源のようでその意味は「シャルドン=あざみで一杯の土地」だそうです。
 このシャルドネはピノ・ノワールとグーエ・ブランという葡萄の品種を両親に持つことが、フランスとアメリカの二つの団体のDNAの共同研究で昕にされました。父は赤ぶどうと母は白ぶどうということになります。反対でもいいんですけどね。
 そしてこのシャルドネの特徴は何と言っても色々な土地に適応できることだそうです。
カソリックの修道士たちによってフランスの各地に広まっていった様子が容易に想像できます。
 この母方のグーエ・ブランという品種はあまりに質が悪いので、フランスでは栽培が禁止されているほどですが、しかしながらその歴史は古く3世紀まで遡るということです。そしてこの二つの交雑によって実に様々な葡萄の品種(アリゴテ、ガメイ、オーセロア、ミュスカデなどなど)が生まれ、各地に定着していったようです。
 生物の持つ多様性と将来はDNAの二重螺旋のように絡みながら、陰と陽の如く、現れては消え、消えてはまた現れる。中々、感慨深いものがあります。