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2020年10月20日火曜日

チャチャハウスとBARラジオ

  上京して安下宿に住んでお金はなくても時間だけはあった学生時代。安い居酒屋と定食屋、一日、二食で糊口をしのいでいた。

 京王線の笹塚のアパートは4畳半の台所、風呂なし、トイレ共同のとても古いもので階段を上がってすぐ左の部屋は2階だったが、敷地が低く、水道道路ほぼ同じ高さで、大型車両が通ると地震のように揺れた。其れからしばらくして中央沿線に引っ越した。学校に行くには乗り換えも無く便利だったが、相変わらず風呂なしの部屋だった。

今も休日には東京方面には行きたくないので、買い物は家の近くか横浜となる。このころ既にその予兆は始まっているようで、学校のない休日は西の吉祥寺に出掛けた。

 私が好きだった店は全てN氏の店だった。サムタイムは一寸大人で一人でジャスを聴くには良いが、友人とクダラナイ馬鹿話をするにはもう一つのチャチャハウスが最適だった。さりとて軍資金が芳醇なわけではない。一杯のドリンクで随分と長居をしたものだ。さぞ嫌な客だったに違いない。店内はジュークボックスがあり、当時の西海岸の音楽が流れていた。イーグルスの歌を聴きながら、テキーラサンライズを知ったのもこの店だった。まだアメリカを見たこともない時代だった。

 当時の中央線沿線、特に高円寺には小さなジャズバーがいくつもあった。流儀というわけではないが、こちらの店では必ずバーボンを頼んだ。

 月日は流れ、モラトリアムのような学生時代も終わり、社会人になった。当時の職場は渋谷の井の頭通り沿いにあって、目の前には交番と風俗店が折り重なって存在していた。しばらくして、すぐ近くにN氏のアルコホールという店が出来た。ウイスキーを蒸留する赤胴色の巨大なポットがその店の象徴でもあった。

 神宮前にその会社と取引関係のある大きなアパレルメーカーがあった。先輩のお供でその会社の人に近くのBARラジオだに連れて行ったもらった。確か、その会社の某ブランドがこのBARラジオと同じ施工会社で内装ょするというような話の流れだったような気がする。

 若造はその存在感に驚いた。お客も演出と言うけれど私などその演出には加われない。カウンターに座っている人に聞こえないように先輩が「あの人がコピーライターのIさん、イラストレーターのWさん、そして一番角にいるのが小説家のMさんだよ」今は誰もが知りうる有名人ばかりだ。残念ながらWさんは鬼籍に入られたがお二人は今も精力的に仕事をこなされている。この店をやっているのがYさんだというのが分かったのはずっと後年になってことだった。

渋谷にもう一軒好きな店があった。今はなき東急プラザの近くの地下にあった。音楽好きの先輩に連れて行かれたその店はインクスポットといって、店内は真っ暗で、今掛かっているアルバムだけがスポットで照らされていた。そんな音楽を聴いてきたものだから、これが好きというものが無い。ジャズでもラテンでも、ロックでもAORでも耳が聴いて心地よいと思う音楽ならジャンルは問わない。クラシックも息子の影響で聞いて入るけれど、まあまあそんな塩梅である。

 そうそう数年前、このインクスポットをやっていた店主が恵比寿に店を出したというので出掛けてみた。雰囲気も良く、賑わっていた。やはり店主はやり手のようである。(勿論、尊敬を込めて)



2020年4月14日火曜日

コロナの前の世界、後の世界

2020年世界中をコロナウィルスが席巻し、政治経済活動も大きな変化を余儀なくされている。
私がこの事態(パンデミック)が起こるのではないかと感じたのは2月の上旬に軽井沢を訪れた時だった。武漢を発端にしたウィルスの影響で鎌倉や京都の観光地では中国人の旅行者が激減したと言っていたので、軽井沢もさもありなんと嵩をくくっていた。ところが来場者のほとんどは中国人だったのだ。政府が水際対策をしきりに打ち出していたころである。団体のツアー客は少なくなったが、個人の旅行者は目に見えない恐怖からずっと前に国外に逃れていたのだ。これでは水際対策では甘い。すでに国内に感染源が入り込んでいたのだ。
専門家の言葉もあてにならない。このウィルスは飛沫感染なので戸外ではうつりにくいと言っていた。マスクは必要ないとも。そしてインフルエンザ程度の致死率とも。専門家と言われる人は過去の経験や実績に基づいて発言する。正常化バイアスそのものである。新しいものには全く通用しない。結果、今日の蔓延を招いている。
中小の小売業、飲食業、エンタメ業界も壊滅である。それらの店子に建物を貸している大家にも家賃の値下げや猶予が求められている。大企業も安泰など出来ない。ソフトバンクの1兆円の赤字、オンワードの大幅閉店、航空会社、旅行会社の打撃は計り知れない。誰もが何かしら対応しなければと考え行動しようとするが、こういう時には最適値を求めてはいけないのだ。流れに身をまかせるしかないのだ。
何故ならそれら全ての事は命に比べれば小さいからである。命を守ることが何より優先されなければならないのだ。特効薬がない上に医療が壊滅状態に近い。病院に行くことそのものがリスクになる。今は己の命を守ることのみを考え、この悪魔より怖い見えない敵が通り過ぎていくことをじっと我慢して、次に会う時に「命があってよかったね」と言えるようにすべての価値観をリセットしてみるしかないのだ。全てはコロナの後の世界を見るために。

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2019年9月12日木曜日

20世紀はエンジンの時代 村上春樹

 艾年を過ぎた世の男性の多くは、子供頃、車に興味を持っていたと思う。勿論、その願望や好き嫌いの指向性の強弱は異なれど少なからずはである。それが大人になるにつれ自分の生活や家族のことを優先するあまり、願望は霞の中に消えるが、心の奥底には炎は灯っているのである。
 ところが世の最近の若者はそうでもないらしい。炎どころか車は単なる移動手段の一つ、所有することもコスト面から嫌う傾向にあるという。確かに宇沢弘文先生はずっと前に「自動車は不経済である」と断言されていた。若者の言うとおりである。
 私はその艾年まではどうしても乗りたい車を封印してきた。まさに前述の通り社会的にもまた家族のことも考えてのことである。しかし、歳をとるにつれてあと何台車が乗れるのだろうかと考えるようになった。
 私が今まで乗ってきた車の多くは、そのエンジンに惹かれてである。まごう事なく20世紀はエンジンの時代だった。BMWその回転の吹け上がりがあまりにもスムースだったシルキー6と言われた直列6気筒エンジン。ベントレーに搭載された大排気量のロングストロークのOHVエンジン。そして水平対向6気筒ボクサーエンジンの911である。このエンジンの特徴はVエンジンのようにバンク角を持たない。高さも必要ない。ただし、横幅は必要だ。その動きはボクサーと呼ばれるようら水平にピストンを動かすため、振動の制振がすこぶる良い。あの形にしてこのエンジンなのだ。
 9年前に手に入れた型式ABA991M9701のカレラSは6万キロを超えた。もちろん最新式の911ではないが、れっきとしたシュットゥットガルドで作られた車体だ。最新式にも乗ったがお行儀が良すぎて私にはこのくらいTomboykの方が好みだ。
 村上春樹氏の小説にはよく車が出てくる。彼自体は大きい車よりフィアットのような小型のイタリア車が好きなようだが、例えば「ドライビィング・マイ・カー」に登場するのは黄色のサーブ900Cであるし、BMWも登場する(どの小説か忘れたが・・)
 ポルシェ911も確か登場した。自宅とオフィスを通勤に使い、毎日低速で走行するという小説での設定だった。その時は奇異にも感じたが、今ではその行為が決して退屈な行為ではなく、その儀式的とも言える行為そのものに、現在の論理や経済性によってオートノミー化した時代に、パリティを壊せととばかり投げかける彼なりの皮肉なのではないだろうか。最新号のエンジンいう雑誌に新旧のポルシェを乗った春樹氏の対談が掲載されていると聞いた。もちろん、取り寄せたがまだ届いていない。
 話は変わるが、青い大手金融機関からの雑誌に「経営者は感性を磨け、美意識の蓋を開けよ」との話題が取り上げられていた。感性も美意識も経済性や合理性では生まれない。好きか嫌いか、ではなぜ好きなのか。自分の深部に宿るのである。曜変天目を見て、宇宙を感じる心があれば、オートノミーは簡単に壊せるのである。
 今日も246を911のハンドルを握り制限速度で30分かけて事務所までやってきた。ラジオも音楽もかけずに・・ただ、エンジン音を聞きながら・・

2019年9月12日

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2018年11月30日金曜日

寿司という食べ物

寿司という食べ物

日本人は大方、寿司が好きである。確かに周りを海に囲まれ四季を通じて色々な魚種が楽しめる地理的立地からも道理である。しかしながらそれも高度経済成長と列島改造による流通網の整備がされた後の話である。
私が小さな頃、関越道はまだ開通していなかった。私の住む北関東のK市から東京に行くには東松山まで一般道を走り、やっと高速に乗ることが出来た。東京まで4時間近くかかっていた。そんな状況だから新鮮な魚を手に入れるのは至難の技であった。それ故子供心に寿司が美味しいと思った記憶はない。寿司が美味しいと思ったのは上京してからの話だ。
回転寿司は1958年大阪の元禄寿司として登場した。と言ってもこれほど全国津々浦々に膾炙されるようになったのは1980年代以降である。娘が小学生の頃、カウンターの寿司屋に行こうと誘うと、回転してなければ嫌だという。我が家の家計の状況が垣間見られる話だが、その後、自由が丘の回転寿司店でたらふく食べた。
寄る年波、何とか回らない寿司店でも食べられるようになったが、このところ一つ気になる事がある。それは店側が予め決めたコースで一斉に食べさせるシステムが多くなった事だ。確かにプロが吟味した最高の食材かもしれぬが、人間というのは厄介な代物で、タコが好きな人がいれば好きでない人もいる。イカ同様である。さらに食べさせてやっているという店側の態度を感じた時には、ミシュランで星を取っていようがいまいが、私は席を立ちたくなる。
いつから寿司はそんな高級な食べ物になったのだろう。庶民に愛された江戸のファストフードだったのではないか。
日本橋に古くから続くY寿司という店がある。ここは良い。客に押し付けでなく好きなものを食べさせてくれる。食材に対する研究も怠らない。今のご主人のお父様は他界されたが、寿司の歴史についても研究怠らなかった。高みに登れば登るほど平謝温厚にて口数少なしが良いとされてるのは言うまでもない。

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2018年11月5日月曜日

続けるという行為 幸せのお裾分け

 40歳の時、髄膜炎で入院したのをきっかけに、ブライベートでは嫌いな人、尊敬できない人とは付き合わないと勝手に決めました(笑)我儘な性格ゆえ元来友人の数も多い訳でなく、そこに来てのこの判断どうなるものかとほんの少しは心配でもありましたが、この20年近くを振り返ってみるとその関係はあまり大きく変わらないことが分かったのです。
 私の場合、高校や大学の友人以外では、仕事関係の友人は少なく、どちらかというと家の近所でただ犬を飼っているということだけで集まった人達と20年来楽しく付き合わせてもらっています。さらにこのメンバー全員夫婦、家族単位でのお付き合いという点も特筆できます。年齢的には私達と同世代のご夫婦、そして一回り上のご夫婦、さらにその上のご夫婦といった具合で年齢的にも職業的にもバラバラです。ただ一つ言えることはそれぞれのご主人はその本業においてエキスパートであり、人格的にも尊敬できる人たちばかりです。
 先日もその一人のドクターのご自宅でのBBQパーティがありました。このパーティも突然思いついて開催するのではなく、20年同じような季節に、同じような環境で、同じ手作りの料理を出してくれているのです。私などドクターの作るこのタンシチューを食べないと冬がやってこないくらいですから(笑)ドクターの多忙な時間を割いて私達のために美味しいタンシチューを作ってくれることで私達は幸せのおすそ分けを頂いているようなものです。毎年同じような時期に繰り返されるこの行為は回を重ねるたびに、その行為そのものがアイデンティティ化されていくのです。
 12月にも別の友人のご自宅で同じように恒例のクリスマスパーティが開かれます。参加する私達はただ感謝しかありません。
 同じような時期に、同じような手料理を出し、皆んなに幸せを分け与える、とても素敵なことです。ある著名な人が言っていました「手料理でもてなすことこそどんな高級のフレンチや懐石料理より、最上の接待である」私も同感です。




2018年9月14日金曜日

凡庸なる額

 私たちの行動は過去の成功体験に基づいて行動している。生物学的に見ても学習行動と呼ばれるそれは人間に限らず他の生物でも見られる。例えば猿に赤い紐と青い紐とでとちらかを選ばせたならば、過去において良い経験=成功経験をした時の紐を引っ張るだろう。

 ところがこれを同じようにビジネスの世界で行えばどうなるだろう。イノベーションは過去の成功体験からは生まれないのだから、その組織はゆくゆくdinasoursに成り果てる。
過去の成功経験と言っても多くの場合、一つの要素では決まらない。マーケットやその時の販売チャンネル、顧客の特性など様々な要素が複雑に関係しあい、決定されるのである。失敗をすることが怖い。ならば過去と同じ方法で行うなど論外。その時その時の最適解を求めなくてはならないのだ。

 昨日も打ち合わせの中でこの要素が鎌首を待ちあげた。素早く打ち消して凡庸なる額を押さえたのは言うまでもない。


2018年9月11日火曜日

小説神髄

 この夏、先兄に勧められて早瀬 耕という私より一回り若い作家の小説を読んだ。最初に読んだのが「未必のマクベス」という小説だった。プールサイドでゆっくり読むつもりだったが、冒頭のマカオのカジノのシーンからそのまま引き込まれ一気に読んでしまった。小説がデビュー作「グリフォンズガーデン」から20数年ぶりの新作と知ったのは後だった。そして彼のデビュー作、その続編とも言うべき「ブラネタリウムの外側」を続けて読んだ。読後の感想はどれも清々しいものだった。
 彼の小説をSF小説と言う人がいる。何故、人はそう決めつけるのだろう。小説は小説である。読後に清涼感を感じ、また読みたくなる小説は良い小説である。それがSFであろうと、難解で読みづらいものであろうと良い小説とはその一点に尽きる。
 ロパート・A・ハイラインの「夏の扉」も私にとってはそうだった。学生の頃、一気に読み進みその読後の満足感は今でも覚えている。ただ、その当時、アメリカの公文書図書館があった街「カールスバッド」を知ったのは息子の机の上にこの小説があったのを発見した30年も経った時だった。
 村上春樹を好きな人も嫌いな人もいる。それはそれで良い。でも前述の私のように自分の知識や見識が乏しく気づかなかったり、知識や見識を取り入れたくないという怠惰な考えのため拒否しているならば既に読者崩壊である。
 美意識というもの、自らの嫌悪の集積であると伊丹十三はその考えを述べているが、それはあくまで嫌悪できるだけの知識の集積の上に成り立つ。
 早瀬 耕にしても村上春樹にしても読者をその世界に連れて行ってくれる。それは私たちの記憶の断片に語りかけ「ねえ、そうだったでしょう」と甘い言葉で囁きかけてる。
3号線から見える西陽のあたるベランダにゴムの木のあるマンションを探したものは私だけではあるまい。陸羽茶室で広東語と大きな麻雀牌あたる喧騒のなかで、何故かBei XuのTou are so beautifulを聞いたのも私だけではあるまい。




2018年7月24日火曜日

シミュラークル シミレーション

 私のお客様の中には国産信奉者も少なからずおります。電化製品を始め、車、機械類は国産に限るという強い信念を持った方々です。大抵は私より年齢の上の方が多い気がします。
 それとは別に自分にはどうせ手が出せないからという消極的理由からくる人たちです。これには単なる妬みも含みます。これはどちらかと言うと私より若い人に見参されます。
 物としての生産物はひとえに模倣から始まります。さらに模倣が模倣を続けるとそのオリジナリティは失われて行きます。国産信奉といってもこの国はまだ100年ちよっと近代史の中で世界第二の工業国になったのは、この模倣が上手かったからに他なりません。そして僅かな差異(シミレーション)を作り上げ、最終的には記号化されてしまうといったのはジャン・ボードリヤールです。
 実学ばかりが有用ではありません。実学と並走して哲学や倫理学に触れることで、平仄が整い人生を豊かにして行くものなのです。何を青臭いことをといっている人には、青臭いアカデミックな思想が欠如してくるものなのです。
 車なんて所詮鉄の塊で記号に過ぎないのです。国産だとか輸入車だとか言っている人は複雑化する世界の全体像が掴めていない悲しい人なのです。何処かの国の大統領もそうでした。思い込みと思想のなさは同調します。

2018年6月27日水曜日

時間は一様ではない

時間は一様ではない。
我々は子供の頃、早く大人になりたいと毎日毎日時間の経過を待ち望んでいた。ただ、月日が経つ事を・・・
時は過ぎ我々は大人になり、伴侶を得て、忙しい子育て、働き盛りの最中にはどうしても1日はこんなに短く早く時間が過ぎ去ってしまうのだろうと天を見上げて恨んだ。時間が駆け足で過ぎていく時代だった。
艾年を過ぎ子供は成長し家を出て、娘は嫁ぎ、家には妻と二人の時間が流れる。時間はゆったりと静かに流れる。
人生における時間は川の流れに似ている。私はこうした川の流れに抗う人を見てきた。多くの場合、ほとんど失敗だ。どんなに若作りをしても50歳は50歳で、また、大人びた格好をしていても中身は子供のままだ。そんな訳で端から見ていても滑稽であるし、うまくいく道理はない。
この大きな川の流れの最後は海に繋がる。そしてその水が蒸発して雲を作りまた雨となり、大地に降り注ぐ。
若い時には若い時なりの時間、壮年期にはまたそれなりの時間があった。残念ながらそれが分かるのは海が見え始めたあたりからだ。上流や中流の強い流れの中では今を見ているのが精一杯だから。
大いに今の時間を楽しもう。人生は一度きりなのだから。多くを巻き込んで、こだわりは良い。でもリリースする事を忘れて我欲に走るのはいけない。

2018年5月31日木曜日

大きくなるということ

私より少しだけ年配のそのシェフは今や日本を代表する料理人となった。

30数年前、そのシェフの料理を当時オープンしたての四谷の店で食した時の感動は忘れなれない。こういう店に来られるようになりたいとぺらぺらの薄い財布を見ながら思ったものだ。

その後、日曜日に自由が丘にあったシェルガーデンという高級スーパーで彼を見かけた。休日であろうに並べられた食材を手に取り顔に近づけていた。近くには奥様と思しき女性が一人いたが彼の姿は真剣そのものだった。

それから数十年が経ち、彼の名声は高まり、テレビにもよく出演するようになった。素材についても彼は地元産のものはもとより、日本全国美味しい食材を集めてその技術で最高の料理を提供していた。恐らく焼尻島のミネラルの豊富な草を食べて育ったサフォーク種を膾炙させたのも彼と銀座に店を持つTさんが最初ではあるまいか。

それからさらに数十年が経過し、彼の店舗数もだいぶ増えたが想像していたようには増えていない。彼のメインの仕事はラクビーW杯の最高顧問に代表されるような名誉職が多くなった。それはそれで彼の努力の賜物だから賞賛したい。

とある土曜日、そんな彼の元で研鑽を積んだ若手のシェフが北鎌倉に新しくお店を出したと聞く。財布も大分厚くなったので予約してランチに伺う。

鎌倉の土日は身動きが取れない。ならばと蜑戸から海水で錆びたビーチクルーザを引っ張り出し。あの坂を登ってやってきた。

つくや否や、自転車の置き場所を尋ねると一人のスタッフはここでもう少し手前にと言っていた矢先に、その錆び付いた自転車一目見るなり奥から別の女性が走ってきて、当店に自転車置き場はありませんときっぱりという。私はこのまま帰ろうかと思ったが、「料理は美味しいので食べていってください」との別の女性の一言で思い留まり食事をした。この時帰っておけばよかった。

料理は前菜が7種、メインは魚介別々に調理し、その上からブイヤベースを掛けるというものだ。そしてそれに合うワイン3種類。

詳細は省こう。まず前菜はどれもコストのかからない食材である。コストはいい。美味しければ。調理法も何もあったものではない。家で食べているラペの方が断然美味しい。メインのスープも凝縮して濃厚とあるが旨味が出ていない。この魚介のスープでは五反田にあるTシェフのスープが白眉である。簡単な手法なのに旨味が詰まっている。ここのものはその半分程度の凝縮さだ。

とまあ最初は否定していたが、よくよく考えてみると組織やお店が大きくなると人によってその見方が変わっていしまう。例えば十二単衣を着ていた女性そのものを見るのではなく、上衣の色を見るもの、その刺繍を見るもの、足袋を見るもの、顔を見るもの一人一人一様である。来ている人の本質(中身)を全員が見ているものではないのだ。

そういえばとある飲食プロデュースクループに入った恵比寿の中華もそうだった。

組織や店が大きくなると色々な解釈をする人が増えるのだ。数十年前私は上場を目指したらどうだと証券会社の人に言われた。その時に「私の会社は大きな商店でいいんです」と苦笑いしながら答えたことは今考えると満更間違っていたわけではなかったようだ。

※写真は本文とは関係ありません。




2018年4月5日木曜日

清明 捨てば満ちる

今日は二十四節気の一つ清明です。春の清らかな気が満ち、草木が萌え出る様子です。

今日はとても清々しい気持ちです。何故かというと、昨日、一杯の中華蕎麦を食べて心も体も満足したからです。料理の美味しさもさる事ながら、その店主の師弟の関係や発展も含めて素晴らしい正の循環を垣間見る事ができたからです。

私たち人間は生まれた時には自我がありません。成長するに従い社会的適合性を持つために自我が発達します。これは必然です。しかしながら、行きすぎた自我というものがあり、仏教ではこれを強く戒めています。

自分と他人を分けるのは仕方ない事です。何を今更と言われかもしれませんが、この分け方が問題なのです。自分にとって都合良い事ばかり優先して、他人は別と言い切る。

私の知っている家族で自分の家の前の道路しか掃除をしない人がいます。雪かきも同じですね。その人に言わせると「フランスでは道端に犬が糞をしても取らない。何故ならそれを職業としている人を失職させてしまうからだ」と。そうでしょうか。

親は子供を育てるのに見返りを求めていません。求めているとしたら既にいびつな親子関係と断言します。その見返りを求めないのは、自分と子供がいわば一心同体だからです。
子供の痛みは親の痛みでもあり、子供を救うためなら自らの命さえ厭いません。

それが何故家族を超えると急に他人として分け隔てをして、利己的に振る舞うのでしょうか。

先ほど仏教の話をしましたが、自分も他人も繋がっていてそれを「縁」というのです。

何気ない他人との交わりが結局「縁」となって自分に返ってくるのです。そう分かると何事も関係ないじゃなくて、すべて繋がっていると理解できるのです。

さりとてこの事ばかり意識したのでは、自分のための他人への行いになってしまいます。
偽ボランティアに他なりません。

震災の時にマスコミに取り上げられた偽ボランティアの多かったことか。彼らは自らの主張をこの時ばかりと利用して、本当に他者のために無償の救済をするためにしているのではないからです。その証拠に偽ボランティアは今は何一つ残っていません。

 NHKのニュースキャスターをしていた女性が先月末退局しました。

彼女の散り方は実に清々しく、その応対に私は驚かされました。

道元の言葉に「捨てば手に満ちて」というものがあります。多くを持ちすぎたり、引きずりすぎると新しい何かが手に入らない。いつも心を軽やかに清くいることでまた戻ってくるというものです。まさにその言葉通りです。

今までの経験や肩書き、プライドなど何にもなりません。あるのは心軽やかに清々しくいることです。清明の日にふさわしい事ではないでしょうか。



2018年3月2日金曜日

Affalterbach/Stuttgart/Leonberg

Affalterbach/Stuttgart/Leonberg

 私の好きなものを3つあげろと言われれば、犬と車とワインということになります。
 ワインは別として偶然この好きなものが近くに集まっているのです。


 Leonbergerは名前の通り、ドイツのLeonberg市の紋章でもあるライオンに似た大型犬を作出したいというブリーダーにより作り出されました。先代のサクラはこの犬種のスタンダードからするとやや小型でしたが、気立ては優しく、他の犬と一度も喧嘩をしたこともありませんでした。享年13歳と2か月で虹の橋を渡って行きましたが、私にとってこの13年は彼女との幸せな時間でした。


 私の車遍歴は30代のLANCHに始まり、FORD,DEFFENDER,RENGE ROVER,BMW,Mercedes・・・台数こそ多いものの、全く持って脈絡も統一性もありません。

 私は密かに艾年を過ぎてから911に乗ろうと決めていました。初めて911に乗った時のハンドリング、シャシーの合成、足回りの素晴らしさは今まで乗ったどの車とも違いました。水平対向6気筒エンジンはキイを回すとブルッと唸るもののすぐに治まりその素性の良さは驚くものでした。私はそれ以来911のファンになりました。私の911カレラSはフォルクスワーゲンに買収される前のものです。製造場所はあのマークの跳ね馬の紋章を持つStuttgart市です。この車好調で8年近く経過しても入院は一度もありません。メンテナンス費用は驚くほど安く、保険料だってそんなに高くありません。今も大切な相棒となっています。

 そしてもう一台、前述した大型犬を運ぶために荷室の広いゲレンデを購入していました。このゲレンデはSOHC 5000ccというストロークが大きく、トルクのあるエンジンでした。その後改良されてDOHC 5500ccのものや、ディーゼルエンジンも作られましたが、私の食指を動かされるものはなく、ただ唯一、私には不相応と思っていたG63が素晴らしいと感じていたのでした。
 ところがこの私のゲレンデも10年の月日が過ぎ、10万キロを超える走行となり、内装も大分系年経過を感じるようになりました。私は数人の懇意にしているディラーのサービスマンの知り合いがいます。彼らは純粋に車が好きで、そして楽しく語り合える人たちです。そんな一人からこの新しいゲレンデを紹介してもらったのです。色も前と同じ白。そして何よりG63です。もちろん不相応なのは分かっています。でも後何年こうやって車を運転して楽しめるのでしょう。それにお金は天後(地獄)に持っていけません。やはりAMGのエンジンは素晴らしい。5500ccのエンジンにツインターボ、実は12気筒のBMWにも乗っていたことがありましたが、12気筒のうち4気筒は何時もお亡くなりになられていて実際には8気筒で走っていたような気がします。笑。AMGがドイツのAffalterbach市にあると知ったのはその後でした。AMGのマークのリンゴの木もこの市の紋章からとったものです。

 そうそう6月にもう一つ、我が家にやってくるのです。そう、Leonbergerのパピーです。






2018年1月16日火曜日

ラブラドールとシャルドネ

 我が家には10か月になる茶色のラブラドールの女の子がいます。すでに3代の犬を飼っていたので犬の躾は大丈夫だろうと嵩をくくっていたら、子育てを忘れていた孫のような扱いに犬も知ってかしらずか、中々言うことを聞きません。これはまずい犬のためにならないと育児書を引っ張り出して親業を一から始める始末です。
 我が家のラブラドールは茶色ですが、父親はイエロー、母親はブラックだそうです。中学の時に教わった優性遺伝というものらしいです。ですから、祖父母のどちらかが茶色ということになります。
 ところで話は変わりますが、ワインの葡萄の品種として今では広く膾炙しているシャルドネはラテン語のCardonnacumという言葉が語源のようでその意味は「シャルドン=あざみで一杯の土地」だそうです。
 このシャルドネはピノ・ノワールとグーエ・ブランという葡萄の品種を両親に持つことが、フランスとアメリカの二つの団体のDNAの共同研究で昕にされました。父は赤ぶどうと母は白ぶどうということになります。反対でもいいんですけどね。
 そしてこのシャルドネの特徴は何と言っても色々な土地に適応できることだそうです。
カソリックの修道士たちによってフランスの各地に広まっていった様子が容易に想像できます。
 この母方のグーエ・ブランという品種はあまりに質が悪いので、フランスでは栽培が禁止されているほどですが、しかしながらその歴史は古く3世紀まで遡るということです。そしてこの二つの交雑によって実に様々な葡萄の品種(アリゴテ、ガメイ、オーセロア、ミュスカデなどなど)が生まれ、各地に定着していったようです。
 生物の持つ多様性と将来はDNAの二重螺旋のように絡みながら、陰と陽の如く、現れては消え、消えてはまた現れる。中々、感慨深いものがあります。


2017年5月24日水曜日

犬を飼うということ

一昨年13歳でゴールデンレトリバーの男の子が、そして先月14歳と78日でレオンベルガーの女の子が虹の橋を渡ってしまいました。
私が犬を飼う(完全に自己の責任によって)ようになって3頭目です。
知人の中にはこの別れが辛いから飼わないという人もいます。それは私も分かります。
犬は赤ちゃんの頃から面倒を見ているので自分の子供のようでもあります。その子を見送るんですからその辛さや寂しさはひとしおですからね。
芸能人で動物好きので有名なTさんは犬は断じて家族ではないと言います。家族だったら死んでも次を飼うことはできないからだと。でも死別して再婚する人もいるわけですからそれもどうかと。
ただ一つ、言えることは犬のいない寂しさは犬でしか埋められないと。
先月も死んだ2日後に孫たちが横浜に遊びに来ました。確かに賑やかで一瞬寂しさも忘れられますが、やはりぽっかりと空いた穴は塞がってはくれないのです。
超大型犬の14年といえば人間の110歳です。天寿補全うしたとも思いますが、それでも1日でも長く生きていてほしいと密かに希望をしている自分たちがいるのです。
3頭の中で2頭は私の腕の中で息を引き取りました。それがせめてもの救いでした。
私の人生の記憶を辿れば、全ての場面に犬たちが関わっています。
楽しい時も、辛い時も、そして寂しい時も、あの子たちが居なかったらと思うと、私などどうなっていたか分かりません。
あと2日で月命日になります。自分の年齢を考えるとレオンベルガーのような大型犬の介護を一年半経験した事で、今後の10年先体力が持つのか、つい躊躇してしまいますが、やはりそこは考え直して、そのためにも仕事を頑張って、いざとなれば専属の介護人を雇う位の気持ちに切り替えました。そう、犬のいない生活は私には考えられないと言う結論です。犬との出会いは「縁」です。最初に会った時、家に来る子は何かピッとくるものがあります。そして其の1頭1頭の性格も全部違い、同じ犬種でも全くの別の犬です。ですから前の子と比べるなんてことはないですね。
これからどんな「縁」でどんな子が我が家にやってくるのか分かりません。でも其の子たちの命が天命だとしたら最後まで一緒にいて命の限り付き合ってあげることが、犬を飼うと言うことなのではないでしょうか。
犬のためならハワイもサーフィンもロードバイクも全て犠牲にしても余りある生活があるのですから。

2016年7月25日月曜日

Car Graphics #Spesial Edition


Geländewagen

 

私は現在2台の車を所有している。一台は2008年式911PORSCHE CARRERA S

そうポルシェがホォルクスワーゲンに吸収される前の車だ。シュトットガルトで作られている。

もう一台がG500、ゲレンデワーゲンである。もちろんこれ以上に素晴らしい車はいくらでもある。しかし、私の琴線を触れ、どうしてもこの2台の代わりにガレージに留め置きたい車は今のところ存在しないのだ。

初めに断っておくが私が乗ったことの無いゲレンデについては何も言えない。つまりここで説明できるのは2006年式以降のゲレンデについてである。少なくとも2006年式以降の日本発売のゲレンデには全て試乗したのでここにその試乗記を残すことにした。

 

G500   2006~

これが私の乗っているゲレンデである。走行は10万キロに近づく。塗装のあちこちに飛び石の傷が目立つ。ゲレンデを購入しようとしているのならばまず普通の車と違って大きな風圧を前から受けることを覚悟しなくてはならない。100キロで走っていてもその風切音は120、130キロ出しているのではないかと驚かされる。夏場は虫がベタベタと体当たりしてくる。よって薄い色はこの虫落としが一作業になる。

今まで3度のパンク、そして2回のアクセルジョイントの破綻を除けば、V型なの油漏れもさほどでもなく、電気系統の故障も少ない。これ以前のゲレンデ所有者が言うように、直線の窓ガラスがストンと落ちるのも今のところ発生していない。ただし、パンクしたら自分で変えようとはしない方が賢明である。何せ2トンを超える重さ、タイヤの重さも半端じゃない。もし高速でタイヤが転がれば大事故である。牽引でなく架台のレッカー車を呼ぶことをお勧めする。この車との一番の思いでは軽井沢での大雪である。とにかく一晩で90センチ以上降雪し、完全に陸の孤島になった。コンビニにはヘリで商品を輸送し、他4WD車は全く役に立たなかったが、自衛隊の車両とスノーソックスのゲレンデは何とか移動することが出来たのである。


 

G550 

この車は言わば排ガス規制のため、燃費効率の悪いSOHCからDOHCに変え、トルクの不足する分をボアアップで補う、言わばマイナスとプラスの相殺をしているような車だった。乗った印象は高速ではSOHCのゲレンデより静かでエンジンも滑らかより乗用車風になったが街場の低速トルクの不足は歪めなかった。何より安全基準で付いたサイドミラーが好きにはなれなかった。

 

G350  BLUETEC

やっとメルセデスのディーゼル復活かと喜びもつかの間。全て右ハンドル、事務所の車庫には収まらない。試乗してみると街中ではキビキビ走る。2トン超えの車体がブルーテックと上手く連動している。他のメーカーのようなカラカラ音もほとんどしない。ただし、高速に行くとある一定以上で急速にトルクが無くなる。言わばスカスカ。街乗り専用なら良いかもしれない。



 

G63 AMG

以前G55に乗ったことがある。パワーはあるけど止まらない。煩い。

これは良い。パワーは十分あるのに使い方を上手く手に入れれば大人しくジェントルに振る舞う。

強化されたサスペンションも大口径化したタイヤもオンロードハンドリングに恩恵を与えてくれる。内装もソリッドで好きだ。瑕瑾なのはお値段。でも欲しい。


 




G65 AMG

メルセデスAMGは最高機種に必ず12気筒エンジンを使う。好き好きだが12気筒エンジンは扱いに難しい。ピーキーなトルクカーブで電子制御の上手く行かない以前の12気筒は半分くらい気筒が死んでいる物が多かった。これは私には完全にオーバースペック、オーバークオリティ。オーバープライス!!

 

G550

最新型の550である。実は大変楽しみにしていた。4000CCにダウンサイスしながら(このエンジン現行のC63やGTと同じ)スーパーチャジャーでなく、ターボチャージャーを2機配置したもの。乗ってみると以前のG55にそっくり。足回りや所作は大人しくなったけどこれ完全にG55ですよ。決してすごく乗りやすいということもない。G63と比べると???

可変ダンパーは機械式、よってほとんど乗り味に変化はない。価格の大幅アップ。(そりゃそうでしょG55買っていた人怒りますよ)ウォルナットの内装が今ひとつ好きになれない。





 

追記

試乗を終えて、10万キロの愛車に乗り移り暫く運転していて・・・・10年たっても基本は変わってないということか・・・・・でもスペックより何より、このDINASOURな佇まいか好きなのだ・・・変わらぬ魅力・・・

 

2016年7月

2016年6月12日日曜日

サーフィンのお話 乗り方は自由!!


 

40年近く(なんとか)サーフィンを続けてきた身としては振り返ると多くのことが見えてきます。

私が始めた頃、ロングボードは見かけませんでしたが、完全にショートボードというわけでもなく、ロングからショートへのトランジッションの時期でした。

アルバイトをして貯めたお金で初めて買ったボードはT&Cのデーンケアロハモデルの7.7でした。シングルの今で言うトランジションボードです。

その後、瞬く間にショート全盛の時代になり、いつの間にか私のボード古臭いDINOSAURなものになっていました。

私もみんなにつられて5.1AIPAのツインフィンに乗り換えましたが、これが癖のある代物でそれまで楽しかったサーフィンが少しつまらなくなってしまいました。

コンテストにおいても如何に派手なパフォーマンスを見せるかが競われ、優雅なスムースなサーフィンは陰を潜めました。

それから月日は流れ、ジョエル・チューダーに牽引されロングボードは完全に膾炙されるようになりました。

私もすぐさまロングを買ったのですが、その板はボンガパーキンスが乗っていたようなロングなのに良く動くアグレッシブな板でした。コンテストにおいてはまだ派手なカットバックやフローターが高得点をあげていたのですからそれも仕方のない事でした。

ところがワールドチャンピオンを獲得したジョエルが突然コンテストから身を引いたのです。彼は独自のサーフィン哲学を持って新たにダクトテープなるものを主催し今も乗り続けています。

この頃から本格的なロングボード多く作られるようになったと記憶しています。

今持っているジョエルの9.4ノーズライダー、クリスクリステンセンの9.6のグライダー、ボブオルソンの10など今持っているボード達です。

2008年ころからまた新しいムーブメントが起こり始めました。オルタナティブ系と呼ばれる人たちです。タイラー・ウォーレンなどその代表でしょう。

彼らは70年代のアウトラインを持ったミッドレングスと呼ばれる板を使い、流れるようなサーフィンを特徴とします。ノーズに行くことよりも波と一体になってスムースなサーフィンをするのが真骨頂です。

こうして私のサーフィンを始めた時のようなトランジッションボードが世に送り出されてきたのです。

もちろんコンテストの世界は厳然と存在し、その中で高得点を上げるにはそれなりの技が必要なのは変わりありません。

しかしながら今は選べる時代になりました。当時のようにロングかショートかではなく、ロングもいて、ショートもあって、トランジションもありという多様性を持ってきたのですから、今サーフィンを始める人は本当に幸せです。どんなサーフィンをしたいのか、それを考えボードを選ぶことが出来るのです。

私も家人には内緒でチョコレートフィシュの7.1のミニグライダー購入しちゃいました()
 




 

2016年5月12日木曜日

エンジンの時代から次の時代に・・・The Next Generation

4月1日にTESLAのMODEL3を予約しました。
 20世紀はまさしくエンジンの時代でした。 
 私が乗り継いだ車はどれも個性的なエンジン音を轟かせ、運転する喜びを感じたものでした。イタリア車は艶めかしいまでの内装とよく壊れる内燃機関のギャップが稀代の悪女を連想させ、分かっているのに止められない魔性の車でした。一方、イギリス車はロングストロークから送られる力強いトルクが大地を鷲掴みしながら、猫足と称されるサスペンションの華麗さは英国貴婦人を連想させるものでした。アメリカ車は良くも悪くもダルな車でハンドリングの大雑把さと必要以上の馬力の滑稽さががアメリカの荒野の道無き道を走る姿に見事にオーバーラップしたものです。
 ところが21世紀に入って、どのメーカーの車もエコロジーの合言葉の上で燃費ばかりを気にして個性のない車ばかりになってしまいました。これも時代の要請かと半ば諦めながらも一言申し上げたいと思い不躾ながら筆をとった次第です。
 そもそも車は全て不経済です。私が言っているのではありません。日本を代表する経済学者の宇沢弘文氏が数十年前から、どんな言い訳をしても車を所有するのは不経済だと看破しているのですから。それをエコだから(エコロジーを否定している訳ではありません)お財布に優しいからなどと言い訳をして所有する位ならば、それこそシェアの発想で所有しなくても良いと思っています。私が言いたいのは車は贅沢品だと言うことです。その車を所有するだけの経済力があるならばどんな車を所有したっていいのです(笑)
 私は今2台の車を所有しています。1台は2006年製の白のゲレンデワーゲン、これはDOHCになる前のOHCのエンジンです。ロングストロークと強い低速トルクが特徴ですが走行距離は10万キロ近くになります。もう一台は2008年製のポルシェ911カレラSです。空冷ではありませんが、フォルクスワーゲンに買収される前の真性ポルシェです。
 ゲレンデはご存知のとおり、NATO軍で使われている軍用車がベースですが、日々それらは改善され続けています。確かにオーバースペックかもしれませんが、大雪の軽井沢で3日間完全孤立した時、道路を走っていたのは自衛隊の車両と私のゲレンデ位なものだったのですからオーバースペック大歓迎だったのであります。911は所有して既に4年が経過しますが全く壊れません。タイヤ交換したくらいです。ですから何の不満もないのですが唯一の瑕瑾なのは燃費です。いや、燃費というとお前も同じじゃないかと言われそうですが、地球環境に負荷を掛けている点では好ましくはありません。
 各メーカーの車の多くはHBという手法をとります。このHBというのが厄介で二つの仕組みを併用するわけですから複雑になり部品数が増え、1台あたりの環境負担はHVでない車の1.5倍も掛かるとの試算もあるようです。電気自動車に至ってはまるで話しになりません。国産車の航続距離では実用になりません。政府は水素燃料車を推進していますが、インフラの整備に一箇所数億円掛かり、かつ現在のガソリンと同価格だとすれば一般に広まるとは考えにくいものです。
 そこへ行くとシリコンバレー生まれのテスラは330kmの航続が可能です。さらに家庭用の電源からでも簡単に給油ならぬ充電が可能です。さらに同社が進めている自動運転機能が完成すれば過疎地の老人用自動車として大変便利なものになります。とまあここまではいいコトずくめのお話なのですが、ここで注意しなければならないのはその充電方法です。電気自動車の燃料コストはガソリン車の1/9という人も居ますが、それは深夜の一番安い料金で自家充電した場合です。これが外出先での充電ということになれば一気にコストは跳ね上がります。スーパーや量販店で見かける充電ステーションは会員制をとっており、月額3,800円から4,200円の会費がかかる仕組みになっています。会員にならずに充電することも可能なようですが、30分の利用料金が1500円掛かることになります。さらに1回の利用が30分以内と決められており、モデル3を充電する場合には追加であと10分しなければならず、総コストは2000円となってしまいます。つまり330kmのコストが2000円ということです。つまり1kmあたりのコストが6.06円ということになります。
 燃費が良いプリウスHBが40km/lとするとガソリン価格が107円/lとすると1kmあたりのコストは2.675円と電気自動車よりコスト的には優れた形になってしまうのです。それもこれも急速充電設備のインフラコストが高く、そのため充電料金に跳ね上がるからです。
 テスラを導入する場合、家庭用充電設備が必須です。これならば予めスケジュール管理し、深夜の安い電気によって充電が可能となります。太陽光パネルと組み合わせれば究極の循環型エネルギーとしての使用も可能となり、災害時の緊急用バッテリーの機能も果たせるからです。
結局コスト????と訝しがる御仁も多いでしょうが、そんな訳じゃありません(笑)その証拠に新しいゲレンデワーゲンのG550の試乗予約もしてしまいました。V84リットルツインターボのエンジンのどこがエコ???



 
 
 
 
 

2016年4月11日月曜日

矮小化する日本人 井の中の蛙


先日、こんな事がありました。

薬局で調剤を待っているとき、小学校の低学年と思われる子供を連れた30代前後の男性の言葉です。

「お父さんこの車何ていうの?」「どこの車」

「これはドイツのP****という車」

「速いの?

「速いよ」「だけど燃費も悪いし、そもそもそんな早く走れる道路はないから要らないんだ」「お父さんの****で十分」

「お父さんは買わないの?

「そもそもこんな車を持つのはお金持ちか、お金はないけど見栄体裁の人だから要らないんだ」

「分かるね」

「・・・・・・子供・・・・ 無言」

 

価値観は人それぞれだから、輸入車が嫌いで国産車が好きでももちろん全く構いません。

しかし、私達の小さな頃は自分の家では手の出ないような車でも憧れの物があって、親はそれを否定するような事はなかった気がします。お金がなくて買えないことも実は子供は分かっているし、それを敢えて教えることも必要なことなのです。そして、そうして育った子供は大人になって前向きになり、質実に家族を養っていけるのです。

お金があるかどうかは結果です。しかしその結果にはちゃんと理由があるのです。それを教えないと行けない。

好き嫌いを決めるのは最後、自分で経験して味わって初めて答えを出せるのです。

私はこうした事をビジネスクラス症候群と呼んでいます。自分は一生ビジネスクラスで旅行など出来ないと諦めてしまっている。毎回ビジネスクラスに乗ることなど必要はありませんが、一度は乗ってみないと優劣を決定ずけられないはずなのです。

昨今、日本の凋落が激しく経済的にも格差が拡大しているのはご覧のとおりです。

その一番の理由はこのように大人が矮小化し、自分とは関係ない、何も将来にいいことはないと諦念していることなのです。子供の無言は大人の知らぬ間に、自分の立ち位置が見えてきた証拠です。他の同級生の家族と比べているのです。そしてその確認と確証が下流化を決定するのです。

その男性の車には漫画雑誌数冊とテッシュペーパーの箱が散乱していた事を付け加えておきましょう。

井の中の蛙、己を蛙とは理解せず・・・

 

2015年11月13日金曜日

けんちん汁を知る

子供の頃、母親が作るけんちん汁は嫌いでした。どちらかというと豚汁が好きでした。そんな事を知ってか知らずか我が家ではけんちん汁が食卓に上がることは殆どなくなってしまいました。

それから三十数年を経て鎌倉に蜑戸を構えて、鎌倉中を自転車でめぐることが多くなりました。

けんちん汁発祥として名高い建長寺までは長い坂もあり自転車では難儀な道中なのですが、ある夏、トンネルを抜け坂道を登り境内を参拝したあと、門前のうどん屋さんにて昼食を取りました。

名物、けんちん饂飩を食したのです。するとどうでしょう、今までのけんちん汁のイメージは完全に裏返りある意味期待以上だったのです。

それ以来、美味しいけんちん汁を作るにはどうすればよいか、色々な書物を紐解きながら何とか美味しいけんちん汁に辿り着くことが出来たのです。

あの夏の邂逅がなければけんちん汁の美味しさを知らずにいたのです。

ということで私のけんちん汁のレシピです。

用意するもの
☆昆布(出しようの良い物)
☆干し椎茸(かさの厚い良質などんこ)
☆大根、人参、牛蒡、葱、蒟蒻、油揚げ
☆塩、味醂、酒、砂糖

①干し椎茸を水で戻します
②昆布で出汁を引きます(エグくならないように)
③大根、人参、牛蒡、蒟蒻、椎茸、油揚げ、葱を同じような大きさに切りそろえます
④大きな鍋に湯を沸かし、大根、人参、蒟蒻、牛蒡の順番で下茹でします
⑤昆布出汁に④の具材と椎茸とその戻し汁を加え再度煮込みます
※このとき椎茸の戻し汁は味を確かめながら調整して、中火で煮込みます
⑥⑤の鍋に酒、味醂を加え、最後に醤油と塩で味を決め、葱と油揚げを入れます
⑦食べる直前にごま油、七味唐辛子をお好みで入れます。

ポイントは野菜の旨味とエグ味を切り離すことです。個人的にはこの薄味のけんちん汁には産寧坂七味屋の七味唐辛子が相性が良いと思っています。皆さんも美味しいけんちん汁作ってみて下さい。因みに今年27歳になる息子は大好物です(笑)





2015年10月20日火曜日

お肉についての一考察

先日STEAK REVORUTIONという美味しい肉を求めて世界中を飛び回るというロードムービーを見てきた。NYのブルックリンにあるピーター・ルーガーステーキハウスや世界中のステーキハウスが紹介されていた。日本でも築地さいとうが紹介されていた。

 ただし、いささか日本の和牛についての考察は薄っぺらである。鎌倉東急の駅前にあるH商店をして、日本の和牛はおかずとしての要素が高く、厚く切って食べないのですき焼きやしゃぶしゃぶが向いているので、脂身の多い和牛が最適だと言わしめていた。この店など鎌倉に在住する人なら既知の事であるけれどこ゜く普通の肉屋だった。その店は最近、トレンドを意識して高級感のある店構えになったが、本当なら大町のK牛肉店や葉山のA牛肉店を取材して欲しかったが、それでは映画の構成にならないと脚本家が意識したのだろう。

 確かに松坂牛や神戸牛のランクはサシの多さで等級が決まるのは昔からの習わしで仕方ないが、中勢以中店を取材しておきながら、赤身と熟成肉に触れないのは片手落ちである。特に最近はこの赤身と熟成肉に注目が集まっているのに残念である。
 そもそも、日本のステーキハウスの代表として取材された「築地さいとう」は鉄板焼きのお店である。 確かに鉄板焼きもステーキの一つであろうが素材や趣向も違うので同じ目線で評価するべきではない。もちろん日本のステーキハウスはこの店のように鉄板焼きステーキの店が多い。しかし、それがイコールサシの多い和牛を志向すると言うのは思い違いである。

 それともうひとつ、この映画が鼻をついたのは、まずエコロジーありきで始まっている。配合飼料はダメで、自然放牧が最高だと決めつけている。それが地球環境にやさしいからだと。そんな事を言われたら山がちで狭い国土の我が国など牛肉は庶民の口に入らなくなる。仕方なしに、オーストラリアやアメリカから輸入すれば長い距離を運ばれてくる燃料コストを考えてエコロジーになるのであろうか全くもって内容が陳腐である。内容も知らされず好相で映画に出演していた松坂の農家の方が可哀想である。

 肉の味が濃ければそれが旨い牛ということになるのであろうか。若い牛は若い牛なりの、年老いた牛は年老いた牛なりの旨さや調理法があるはずだ。

 映画の冒頭で硬そうな肉にエシャロットと仕上げにヘーゼルナッツオイルを掛ける料理はこの映画では番外となるが、硬い肉だって味付けと調理法で旨くなるという良い例なのにとても残念である。

えっ、それを食べたことがあるかって?
もちろんあります。日本のBLTステーキハウスでランチメニューとして提供しています。因みに肉は前足の肩の部分です。

2015年10月
https://www.facebook.com/masahiko.sugihara