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2009年11月13日金曜日

知の了解  暗黙知

レーナード・バーンスタインのモーツアルト交響曲を聴きながら薄く入れたイノダコーヒーを飲んでいます。今日の香りはジャスミンです。

齢50を過ぎると色々なものが見えてきたり、見えなくなったり致します。

若い頃にはすぐに直結する知識や技術の習得に励みますが、その結果は思うように行かないことが多かりしです。例えば英語が話せるようになりたいから駅前の英会話学校に通ったりしても実際の場面ではなかなか旨く行かないのではないでしょうか。

ハンガリーの哲学者マイケル・ポランスキーが「暗黙知」という言葉を定義しています。知識にはその背後に暗黙の知るという作動があると言っています。自転車を乗りこなすということには、言葉で説明し得ないような複雑な動作を制御する知識があることなどです。

久々にテレビでロンバケを再放送していました。私は何かをするためにこのロンバケではありませんが、背後に知への渇望が必要だと思うのです。長いお休みそれ自体ではなく、何かをしたいという気持ちです。知への渇望なくただ生きるために知識を詰め込むようでは知の習得は思うようにはできないものです。

好事家=デイレッタントはその一例です。世の中、誰もが分かるような筋書きには出来ていません。
世の中のパイオニアと言われる人はその世界の人でないことが多いです。大阪あべの辻調理専門学校を開いた辻静雄さんだって新聞記者だったんです。


私が息子に言うのは「パンのための学問はするな」「茶碗になるな」です。意味はお分かりですね。

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