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2009年11月25日水曜日

イデオロギー 個人の歴史


午後から回復すると言う天気予報が嘘のようにどんより曇ってぐずついている空模様なので、今日の香りは清涼感のあるユーカリです。ユーカリはEucalyptusを短くしたものです。ラテン語の原意は「eu 真に」「Kapiputos 覆った」です。アボリジニは傷の手当にも利用し、頭を明晰にして集中力を高めたり、花粉症にも効くと言われています。




洒脱な言い回しの「東京灰骨紀行」が面白かったので、眠れないときに枕元に置き今読んでいる写真の「通り過ぎた人々 同 小沢信男著」には実に様々な人々が登場し、彼なりの弔辞としているわけであります。


先に慶応と立教が彼の2つの著でそれぞれ現在の聖路加病院あたりで産声を上げたとい行があり、調べてみたらどちらもそのようです。慶応は1858年、立教はウィリアムズ主教により1874年です。ちなみに我が母校は現在の紀尾井町で1913年に開校されています。


閑話休題


私が大学に入る頃には「安保闘争」は下火になり、数少ない大学で「多少燻っている」程度でした。

何より、左翼運動そのものが、「かっこ悪い」という風潮になっていました。おそらくその時代を過ごした人とのイデオロギーの埋め込まれ方は大きく異なっているのだと思います。彼の著に登場する人たちはいずれも魅力的で、精力的です。もし自分がこの時代に生きていたら、きっと傾倒していたかもしれないと思わされるものでした。しかし、時代は遡行不可能です。私たちには私たちのアイデンティティが生成されているのです。いずれも弔辞を述べている著者は心なしか寂しそうにメランコリックな印を受けたものです。

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