はずかしながら社会科の教員資格を持っています。専攻は世界史でした。
私がつねづね不思議に思っていたのは、世界史でも日本史でも中世や近世はよく細かな点まで記載されていたのが近代になるや10倍速ほどのすっ飛びの内容なのです。
我が国についてもこのようなものですから、各国史についてはもはや言葉を発することも出来ません。
生徒に「ケマル・パシャ」知っていると言ってもほとんどの生徒は知りません。トルコ建国の父なのにこの有様です。
U先生が世界水準になれるのは、「対抗文化」であると言っていました。しかり。
しかし子供達に教える教科に限って対抗文化はどこの国の教科書も取り上げていないわけです。一番対抗文化を吸収、排出しながら成長している時代をです。
これはどこの国でも「歴史観」というものが「確定的」であることが前提だからなのでしょうか。
だとしたら現在の結果主義に通ずるところがあります。「多様性を認めない個の生産」は以外やこんなところから発しているのかもしれません。
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