その時は大して感じなかったことが、後からぼんやり(ここが大切)見えてくるようなことがあります。
読書がその一つです。そのモチベーションは例え受験のためでも、授業の教科書であっても良いのです。
高校生の頃に土居健郎著「甘えの構造」を読んだ記憶があります。「甘え」という言葉は他の国には見られない独特のものであり、日本の文化がその橋梁にのっとっているとそんな記憶でした。
社会学には結構興味があり大学に進学後も中根千枝著「縦社会の人間関係」を読んで、中根先生の授業を取ったことがありますがもっとも授業は当の本人ではなくご主人の方でしたが・・・・・・・
一方、私が英語で菊(東洋の菊)=chrysanthemumのことを始めて知ったのが、アメリカで始めての日本文化論とも言われているルース・ベネディクトの「菊と刀」です。
今になって、土居健郎氏の著作がこのルース・ベネディクトの著作に影響されたものと知りました。
そして、さらにオリエンタリズムを提唱し、西欧優位の文化性に警鐘をならしたE・ザイードがルース・ベネディクトを批判していたことが繋がり、さらにこの循環的思想の持つ意味を感じるものとなりました。
土居氏は最後の大精神科医といわれ東大をはじめ様々なところで教鞭をとった方です。功績も大きく多くの学生を育てた方です。
今日の日イトに糸井さんがいいことを言っていました。
「全く新しいものは、その前のものの下半身を持っているんだよね・・・・」
その通りです。変化の中にいる人は変化にきずきません。後になってその変化が分かる訳です。
思想や文化論もその一つです。
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