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2010年3月31日水曜日

αναλογία アナロジー(Analogy)

アナロジーという言葉をご存知ですか? 日本語に訳せば「類推」といったことですが、どうしてなかなかやっかいな代物なんです。

アナロジカンルシンキングやフラクタクルといったように肯定的にとらえて研究しているものも多くありますが、一歩間違えば誤謬を招きます。


ある眼科でのお話

患者 「コンタクトの処方をしていただきたいのですが」

先生 「一応、検査してみましょう」

患者 「ひと月前に別の病院で検査してもらいました」

先生 「ここは別の病院なので 最初からになります」

患者 「分かりました」

ひと月前に受けた検査と全く同じ検査を終えて

先生 「大変です 網膜細胞がこんなに減少しています」

    「いつ失明してもおかしくないです」

患者 「そうなんですか」

先生 「人間の網膜は再生しないので減少したら角膜の移植以外にはないのです」

雑誌に掲載されたと思しき記事のコピーを患者に見せて、どうだといわんばかりな様子

患者 「でも角膜の細胞数は個人差があるでしょうし、減少しているというのは以前と比較して確かなデータがなければ言いきれないのではないですか?」

先生 「そんなことはない、絶対に私の言うとおりあなたは危機的状況なので今すぐにコンタクトはやめて眼鏡にしなさい」

患者 「眼鏡じゃ運転できないんですよ」

先生 「運転は止めればいい」

その後患者はあまりのばかばかしさにさっさと清算を済ませ。別の眼科にいき、コンタクトの処方をしてもらいました。そして数年経った今も角膜細胞数は減少しておらず定期検査でも問題はありません。ちなみにこのとき治療行為は一切なかったのに治療行為が領収書には付加されていました。

何を言いたいか分かりますか?人間と言うのは自分に都合のよいアナロジーを行うものなのです。
この時の若造ドクターは自分の主張を裏付けさらに、自らの行為の正当性を加護するあまり自分に都合の良いアナロジーを形成したのです。患者のことは全く無視して。

裏返せば患者も同じです。ステージ3の乳癌を摘出した患者が言いました。「外科療法ではなく温存にしておけば良かった」とこれも全くアナロジーです。既に60歳を過ぎたその人は術後15年以上が経過しています。

シュレティンガーの猫という話を知っていますか、そうあの物理学の実験です。人間もこの猫と同じで確率的に半分は死んで、半分は生きているということは許されないのです。

しかし、アナロジーはあえてその方向に向かわせます。その眼科で全く同じことを言われ、論理的矛盾を知りながらも、その言に従いコンタクトをやめてしまった人もいるのです。つまり自分を信じてはいけないのです。

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