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2010年5月13日木曜日
911 Jean Baudrillard 「不可能な交換」
911についてジャン・ボードリヤールは911こそ「不可能な交換の壁」だと言っている。
そう著書「不可能な交換」の中で客観的偶然について、サイコロの例を用いて次のように書いている。
ジャン・ポートリヤール著 塚原 史訳「不可能な交換」紀伊国屋書店より
ところで偶然の運命の選択を導くものは何だろうか。そんなはずはない。主体がみずからの選択をプログラミングする瞬間に、問題となるのは純粋に客観的な偶然でも、決断された意志でもなく、主体の無意識の思いつきに導かれた、いわば主観的偶然なのだ。・・・・・・・以下一部省略
いずれにしても、プログラミングされてないものは、何一つコンピューターから出てこないのと同じように、精神のうちにあらかじめプログラミングされていないものは、何一つサイコロから出てこない。
だから、サイコロの目的が一切の固有の意思から自らを解放することだとしても、この挑戦は疑似えにすぎない。あらゆる企ては疑似餌であり、欲望の月並みな偶然性に回帰するために、わざわざサイコロを通過する必要はないのだ。
おそらく客観的偶然はひとつの幻想、ひとつのユートピアにすぎない。サイコロによる決定は、そう思われているほど恣意的ではないが、真の意味で自動的ではあり得なかったと同じだ。そして、偶然は、人が行う選択のうちには決して存在しない。ただ、単純に、あなたに起こったことを為すにまかせる場合は別だか、その場合でも結局、偶然あなたに起こることなど何もありはしないことを人々は知っている。
善が悪を打倒したつもりでも、この壁は決して消滅しないだろう。善と単一性の原則=グローバリぜーションがかえって世界と思想の絶対的特異性への道を開くのだと「不可能の交換の壁」についてまとめています。テロリズム対正義という単元的思考の危うさについての理解はまだ足らない気がします。
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