このブログを検索

2011年6月3日金曜日

ポプュリズムとデモクラシー

ポプュリズムは今でこそ否定的なニュアンスで語られることの多い言葉であるが、本来は民衆に沿った政治を意味するのです。

問題なのはこの民衆が己の目先の利益ばかりを追うために、いうなれば衆愚になってしまうことです。

政治と宗教の話はしないというのか我が家の家訓ですが(笑)、本日は少しばかり昨日の内閣不信任案決議を観ていて、申し上げたいことがあります。

自民党の総裁、某副総裁の弁を聞いていると、自分たちに突きつけられた国民のNOが全く分かっていないと思わざるえません。

一方、政府与党の茶番劇も、そもそもまとまってはいけない人達が一党にいることが露呈される、民主党の体質が透けて見えました。

そもそも小泉元首相の構造改革とは何だったのでしょう?あれこそポプュリズムの極みです。エリート(官僚)を仮想敵に見立てて、国民に白か黒かを決めさせ、まるでファシズムの手法です。

私は構造改革そのものがいけないとは思っていません。ただし、一時的には反対方向に振れてもこの国が長い間に築いてきた親米的依存体質と官僚主義はなおらないのです。

今回の総理の手法は悪い意味でのポプュリズムです。相手が自分の悪口を言えば言うほど自分が有利になってきたのです。そのことを民主党の他の政治家は見過ごしません。勝てない試合はやらないのです。

そもそも総理にリーダーシップを望むことは妥当なことなのでしょうか?歴史はそんなときに独裁者を輩出します。そして悲惨な結果に・・・

私は長期的な展望にたけた優れたプレーンを配したグループ制による政治手法しかこの国に残された道はないと思うのですが如何でしょうか?

本日の参考にした本は以下のものです。


0 件のコメント: